kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

社会文化的コミュニケーションの中の読書~日本国語教育学会大学部会シンポジウム「自立した読者を育てる読書指導」

2019年8月の対面開催依頼、4年ぶりの対面開催となった日本国語教育学会の全国大会に参加してきました。( 2023年度大会のプログラムはこちらからPDFでダウンロードできます。)

日本国語教育学会の集まりに参加することが苦手なわたしが、今回、なんとか参加しようと思った理由がこちら。

昨年2月に発売された、『中高生のための文章読本:読む力をつけるのフィクション選』(澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳編, 筑摩書房, 2022)の編者3人がシンポジウムにご登壇!しかもテーマは「自立した読者を育てる読書指導」!ということで、この御三方がそれぞれ「自立した読者」に対してどのようなことを考えていて、さらに、それを巡ってどのようなディスカッションをされるのかが楽しみで楽しみで、居てもたってもいられなくなったのでした。

シンポジウムの概要は、以下のとおりです。

日本国語教育学会令和5年度研究大会

大学部会シンポジウム「自立した読者を育てる読書指導」

日時:2023年8月11日(金・祝)13:00~15:00

会場:筑波大学附属小学校・講堂

テーマ:自立した読者を育てる読書指導

シンポジスト:澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳

コーディネーター:松本修

日本国語教育学会・全国大会チラシ(PDF)より)

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児童書ビブリオバトル「この児童書がすごい#2~SDGs編~」を開催しました

昨年12月に開催された「科学・学術コミュニケーション編」、今年3月9日に開催された「ケアリング編」に引き続き、児童書ビブリオバトル「この児童書がすごい#2~SDGs編」を開催しました。


www.youtube.com

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昨年12月に開催された、児童書ビブリオバトル「この児童書がすごい!!~科学・学術コミュニケーション編」のアフタートークの中で、「児童書は玉石混淆。だからこそ、このようなかたちで、研究者や研究を伝える仕事に関わっているものが、批評的なコミュニケーションを行っていける場というのは大切なのではないか」というような話が出され、そのなかで「いろいろある児童書の中でも、とくに玉石混淆であるものはなんだろう?」という話になり、そこで真っ先に挙げれらたのがSDGs(持続可能な開発目標)でした。

もちろんすでに、SDGsと児童書(子どもの本)の関係については、国際連合をはじめとした公的な機関をはじめ、さまざまな組織・団体、個人が注目しています。
もっとも有名なのは、2019年3月から国際連合「SDGs Book Club」が公開している子ども向けのブックリストでしょう。

current.ndl.go.jp

2019年から国立国会図書館国際子ども図書館の「子どもの本に関するニュース」でその邦訳が紹介されるようになりました。

2020年には同じく国際子ども図書館に20周年のスペシャルコンテンツとして「SDGsと子どもの本―いま、図書館にできること」が、公開されました。昨年11月にはこのコンテンツの1つとして、「SDG Book Club」のブックリストのなかで、国際子ども図書館で所蔵されている図書のリスト(PDF)も公開されました。
民間の動きとしては、別冊太陽『絵本で学ぶSDGs』(平凡社)(2022年8月)の発刊は、かなり大きな出来事だったのではないかと思います。これらのブックリストがアクセス可能になったことによって、タイトルに「SDGs」を冠した子ども向けの書籍シリーズとは異なるかたちで、SDGsに関連する児童書(子ども向けの本)の選書が行われやすくなったのではないかと感じています。

このように、SDGsについて学ぶための児童書にかかわるコンテンツが多く提示される一方、ブックリストの形式で出されるものが多いためか、それがどのように、「SDGsを学ぶこと」「SDGsについて考え、行動すること」につながるのか、があまり明確ではないように感じています。
SDGsにかかわる問題や関連情報を知ることにつながる…というあたりまではイメージできるのですが、なんとかなく「こういうことがあるんですね。わかりました。」といって終わってしまい、その先を自分自身で考え、探求していったり、さらにアクションを起こしていったり…といったことへのつながりが見えにくい感じがするのです。

 

ビブリオバトルでは、せっかく、バトラーの皆さんに質問をしたり、ディスカッションをしたりできるので、選書に向けた思いを語り合いながら、「SDGsを知る」だけでなく「SDGsを学ぶ」とはどういうことなのか、といった点まで議論していけるのではないかと考えました。

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ワークショップ「『話すこと・聞くこと』の授業におけるインプロ・ゲームを教材とした実践」

2022年度から開催されている「明日をひらく言葉の学び交流会」の第3回として、神永裕昭先生(東京都足立区桜花小学校・教諭)によるインプロ・ゲームのワークショップ「『話すこと・聞くこと』の授業におけるインプロ・ゲームを教材とした実践」を開催しました。

会場の様子

※第3回 明日をひらく言葉の学び交流会 - 教育出版 研究会情報

神永先生とは、2018年秋に、全国大学国語教育学会でのラウンドテーブル「国語教育における即興的パフォーマンスとしての学習」でご一緒して以来、なかなかお会いする機会に恵まれず、4年ぶりの対面での再開となりました。

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お会いできなかった分、その期間に神永先生が探求されてきたことの蓄積が、どのようにご自身のインプロゲームの実践に反映されているのかを知りたい、と思う気持ちも募ります。

神永先生ご自身が小学校の現場で見出した「考えすぎずに失敗を怖れない態度や考え方」への問題意識とインプロ・ゲームによるアプローチ(神永裕昭(2020)「考えすぎずに失敗を怖れない態度や考え方とインプロの親和性の検討」)、

小中学校の国語科教科書に掲載されている教材としてのインプロ・ゲームに対する批判的検討(例えば、神永裕昭(2019)「インプロのゲームの構造から見たインプロ実践の意義」)を踏まえて、今、神永先生が国語科・「話すこと・聞くこと」の文脈において、どのようなアプローチをしようとしているのか。

そのことを体験的に、そして実感的に理解できる機会にもなるのではないか、と思い、期待をふくらませて、会場に向かいました。

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学習マンガの読み比べ@マンガピット~伝記マンガ編

2022年3月末にオープンした、マンガ×学びの拠点「マンガピット」
以前、こちらのブログ記事でも、このときの訪問レポートをアップしておりますが、このたび、教職大学院の授業の一環として、「マンガピット」での出張講義を行ってきました。
kimilab.hateblo.jp

教職大学院の授業は、基本的に、1回あたり2コマ(90分×2コマ=180分(3時間))。そのため、15:00集合・18:00解散の予定でスケジュールを組みました。
具体的なスケジュールはこんな感じです。

マンガピットでの授業スケジュール

はじめに、集まった人たちで「わたしとマンガ」というテーマで自己紹介をしあったあと、その話の流れで、「学び×マンガといえば?」というテーマで自由にいろいろ話しあいをしました。
このフリーディスカッションでは、かなりいろいろな話題が出ました。

「学び×マンガといえば?」

国語科の授業において読解対象の理解を促すための副教材として用いられるマンガ(例:「源氏物語」を理解するための副教材としての大和和紀あさきゆめみし』)や、マンガによって誰かから離される「話」をよく理解できるようになったといったエピソードのみならず、「LLマンガ」の話、『マンガノミカタ』で紹介されているようなマンガ表現の読み方についての話まで出てきました。
mediag.bunka.go.jp

その後、「これも学習マンガだ!」のプロジェクトや、「マンガピット」の蔵書内容についてご案内いただいたのち、本日のメインの学習活動として考えていた「学習マンガの読み比べ」を行いました。

上に示したスケジュールでは「演習1」「演習2」と2つ用意していたのですが、今回は、「演習1:ノンフィクション・知識に関する本としての『マンガ』」のみを行うことにしました。
そのなかでも、今回取り組んでみたのは、「伝記マンガ」の比較です。

「マンガピット」の蔵書には、いくつかの特徴があり、それを言い尽くすことは難しいのですが、「伝記マンガ」に関しては次のような2つの大きな特徴があるといえます。

(1) 複数社が発行する学習まんがシリーズを揃えていること。
(2) 「ストーリーマンガ」として発行されている「伝記マンガ」も所蔵されていること。

そのためスティーブ・ジョブズ」に関しては、なんと4作品の比較が可能(!)です。

今回は、時間が限られていることもあり、そんなにたくさんの比較をすることはあきらめて、2社くらいで比較ができそうな歴史上の登場人物をとりあげて、比べ読みをしてみることにしました。

その結果、今回見てみることになったのは、ジャンヌ・ダルク(2作品)」「宮沢賢治(2作品)」「ヘレン・ケラー(4作品)」、「紫式部(2作品)」の4人。

わたしは、「紫式部」をとりあげ、『清少納言紫式部小学館版 学習まんが人物館)]』(小学館)と『紫式部: はなやかな王朝絵巻『源氏物語』の作者 (学研まんがNEW日本の伝記)]』(学研)を比較してみることにしました。
…が、比較してみると、かなりキャラクター性が違っていて「これ、同じ人物か?」と言いたくなります。

比較して読みながら、「この違いは、監修している研究者の違いによるものかなぁ…?」とぼんやり考えていたのですが、最後に共有した結果わかったのは、同じ監修者によって監修されていた「ジャンヌ・ダルク」であっても、2作品のキャラクターは(真反対ともいえるほど)違っていたということ。
たしかにジャンヌ・ダルクであれば、どんなキャラクターの描かれ方であっても、「それこそが、正解!」とはならないとは思うのですが、通常、学校図書館や公立図書館に設置されている学習マンガは1社分で、そのシリーズのその作品だけでその人物に出会うことを考えると、どの「伝記マンガ」と出会うかで、その人物に対する印象がかなり違ってしまいそうだな…という印象を受けました。

そう考えてみると、「どの学習マンガを図書館に採用するか」を考えるべき立場にいる人たちが、一度、このようなかたちで、複数のシリーズの学習マンガを比較読みしながら、各作品やシリーズの特徴について、あれこれ言い合ったり、自分なりの見方をもっておくことは大切なことであるように思います。

今回は、「学習マンガの読み比べ」企画の第1弾として、自分が興味ある「伝記マンガ」をとりあげてその比較を行ってみました。
…が、「伝記マンガ」ひとつとってもまだまだ切り口はありそうですし、「学習マンガ」に広げてみてもやれることはたくさんありそうなので、教職大学院の授業のみならず、いくつかの機会をつかまえて、「学習マンガ比較」をいろいろな人たちと、継続的にやってみたいと思います。

評論文や説明文にかかわるマンガ比較もやってみたい企画のひとつなので、ぜひ関心のあるかたは、お声がけください。

現実と虚構の多層性によって生じる「学び」~マンガ×学びの拠点「マンガピット」

3月末にオープンした、マンガ×学びの拠点「マンガピット」

「マンガ×学び」をテーマにした初の施設ということで、とてもオープンを楽しみにしていたこともあり、4月中旬に早速、訪問してきました。

motion-gallery.net

「マンガピット」の蔵書やレイアウトについて、司書みさきさんにご案内いただく、というとてもスペシャルな時間で、「マンガで学ぶとは?」「そもそも『学ぶ』とはどういうことか?」など、たくさんのことを考えたり、話したりするきっかけをいただきました。

この「マンガピット」では「これも学習マンガだ!(これが学習マンガだ!)」選出マンガはもちろんのこと、学校的学習のための学習用図書として作られたような(いわゆる)「学習マンガ」もともに配架されていて、とても面白い蔵書空間になっています。

複数社の「学習マンガ」シリーズとともにストーリー漫画が並ぶ

 

こちらの写真では、ポプラ社のコミック版「日本の歴史」シリーズなど、いわゆる「学習マンガ」として発行されている日本史学習マンガの近くに、よしながふみ『大奥』
や、和月伸宏『るろうに剣心』が全巻設置されていることがわかります。

ここは、いわゆる「日本史」に関するマンガが並べられたゾーンですが、このようなかたちで、学校の教科名を「ジャンル」とみなした…いわば「教科ジャンル」(?)ごとにマンガが並べられているのが、とても面白い。

ふだんから学校教育に馴染みがあるわたしにとっては「教科」というものに対してもっている信念やイメージを捉え直すきっかえになりますし、一マンガ愛好家としては、自分の好きなマンガに対して新たな解釈を提示されたような感じもします。

どちらの側面から見ても面白い。

 

朧気な記憶をたどりながら、「マンガピット」内部の見取り図を書いてみたものがこちら!(「デジタルギャラリー」と書いたのは「E gallery」のことです)。

マンガピット見取り図(4/20時点)

「国語」ゾーンでは、古典作品のコミカライズ作品のみならず、「ドラえもんの国語おもしろ攻略」シリーズなどが並んでいるところです。「国語」の場合、「ことわざ」「慣用句」「故事成語」をテーマとした学習マンガがたくさんあるのだということを知りました。

国語ゾーン

そういえば、わたしも(マンガではないですが)ことわざは五味太郎の『ことわざ絵本』シリーズで学びましたね。なつかしい。

現代社会」~「キャリア教育」系、そして「理科(生物系が多い印象)」のゾーンをは、現実と虚構との関係がかなり多様で、つい「ここに来る人たちが、それぞれに「虚構」と「現実」とを見分けつつ、それぞれのスタイルで接合したりできるようなリテラシーが必要なのではないか」と考えてしまいます。

 

現代社会~キャリア教育系~理科ゾーン

もちろん、「国語」ゾーンにある古典のコミカライズだって、実際の古典文学のテキストとコミカライズされたテキストとの間には距離があるし(これは、虚構同士の関係ですが)「日本史」「世界史」ゾーンにある「学習マンガ」だって、おおいに虚構性はあるわけですが、現代社会にある出来事をモチーフにし、現代の社会に関する「知」を扱ったものだと、どうしてもそこで描かれているもの、現実との距離感やアプローチの雑多な感じが気になってしまったのかもしれません。

 

こんな感じで、現実と虚構とのさまざまな重なりあい方について考えていったあとに、「この世ならざるもの」(怪異や神仏から、死後の世界観に関わるもの、古代に関するものまでいろいろ含まれる)コーナーを見てみると、そもそも「現実」と「虚構」とをわけて考えること自体が無意味なことなのかもしれない、とすら思えてきます。

この世ならざるものコーナー

 

「マンガで学ぶ」とは、いったい、どのようなことなのか。

それについて考える、ひとつの視点は、現実と虚構との多層性にあるのかもしれません。

現実と虚構との境を曖昧にしながら、それがさまざまなかたちで重なりあうなかで、わたしたちがどのような経験をするのか、を考えること。それこそがマンガ×学びを考えるときのポイントになってくるのかもしれません。

 

「学び」に近い場所で「世界の見方を変える遊び」を遊ぶ~「漢文学者とやる漢詩×音ゲー『陽春白雪 』」と『ゲームさんぽ』

教職大学院で共同担当している「国語の教材デザイン論と実践Ⅱ(文学・テクスト)」の授業の一環として、『陽春白雪 Lyrica&続陽春白雪 結星諧調 Lyrica2 Stars Align』のゲーム実況をベースにした動画教材制作を行ってみました。

 

受講者1名(!)なので、どんな内容を「国語の教材デザイン論の実践」の「実践編」として行おうかな…と考えていたのですが、そんなくらいのタイミングでたまたま、いいだ/げーむさんぽ(@UraIida)さんが、「各大学がゲームさんぽでゼミ紹介やってくれたら面白そうだなー」とつぶやかれ、それを格闘系司書(@librarian03)さんがつないでくださった…というのが、そもそもの始まりです。

格闘系司書さんとは、2019年の図書館総合展のときに、連続ミニトーク「本とゲームとの幸せな関係!?」のひとつとして、漢詩漢文学)入門としてのゲーム~『Lyrica~陽春白雪』(ゲームアプリ、Switch)で迫る漢詩の魅力~」チラシPDF)というトークイベントを開催し、高芝麻子先生(横浜国立大学・准教授/漢文学)をゲストとしてお呼びしていて、そのときも、「これで、『ゲームさんぽ』みたいなオンライン動画をつくれたらいいよね!!」とお話ししていたこともありました。

そんなわけで、今回わたしがまっさきに思いついたのも、それでした。

ありがたいことに、高芝麻子先生は同僚でもあるので、「国語の教材デザイン論と実践」の授業内プロジェクトとして、受講生がホスト(案内人)となって、高芝先生にゲストとしてお話ししていただくような「ゲームさんぽ」のような動画を、高校国語(古典/漢文学)の教材動画として創れないか!?と思い立ちました。

 

ゲストとしてお呼びする高芝先生にお願してみたところこころよくお引き受けいただきました。そしてそれだけでなく、授業内での制作プロジェクトが進行するうちに、もともと「ゲームさんぽ」動画のファンでもあった素晴らしきゲームプレイヤーが仲間に入り、さらに収録直前に、ふだんからマルチプレイヤー型のオンラインゲームをたしなまれているために大変高価でマイクをお持ちであるという大学院生が仲間に加わってくださり、当初の予想をこえた素晴らしい環境&メンバーで収録を行うことができました。

ynukokugo.blogspot.com

ynukokugo.blogspot.com

 

その結果、できた動画がこちら!

 

本動画を、横浜国立大学教職大学院の公式Youtubeチャンネルで公開してもらいたいということで交渉してみたところ、横浜国立大学の公式チャンネルで公開してくださるだけでなく、横浜国立大学教職大学院「報告会・報告書」ページでも公開してくれました。

いいださんからも、なむさんからも反応をいただき、歓喜しております!

 

いま、ちょうど今年3月に発売されたばかりの『ゲームさんぽ:専門家と歩くゲームの世界』を読んでいるところなのですが、この本の帯には「これは世界の見方を変える遊び。」というキャッチコピーが掲載されています。

わたしは、いいださん&なむさんが、「ゲームさんぽ」を「遊び」として捉え、それを社会に向けてこのようなかたちでハッキリ提示されていることに、とても感銘を受けました。

 

 

わたしのこの解釈が正しいかどうかはわかりません。が、もし「ゲームさんぽ」が特定の誰かによる「コンテンツ」の名称ではなく、「遊び」であるとしたら、それはおそらく、誰もが自ら、自分で「遊び」をはじめられるような「何か」であるはずです。 

だれもがこの「世界の見方を変える遊び」を始まることができる。

そしていろいろな人たちがそれぞれにこの「遊び」を、いろいろなところではじめることで、日本中に、世界中に、「世界の見方を変える遊び」が野火のように広がっていく。「ゲームさんぽ」が、「野火的な活動(wildfire activity)」となる。

 

ゲームさんぽ:専門家と歩くゲームの世界』を読み進めれば読み進めるほど、この本は、単なる2年間の「記録」ではなく、これから「野火的活動」としてこの「遊び」を広めていくための「火種」となるべく編まれたものなのではないか、と思うようになりました。

そんなことを思いながら、2011年に自分が、当時東京で行われていた「野火的な活動」とそれを支えるネットワークやシステムについて書いたものを読み直してみると、当時、感じていたことと、『ゲームさんぽ』本で書かれていることに、どこか近いものがあるような、そんな感じがしてきます。

kimilab.hateblo.jp

 

そうであるとしたら、まず、わたしがすべきことは、教職大学院という、一番、「学び」に近い場所で、その「遊び」がどう遊べるのか、をいろいろ試してみるのかな、と思いました。

 

来年度も、同じように、「ゲームさんぽ」的に教材動画を作るようなプロジェクトができるといいなー。

Youtube動画のサムネイル



 

 

寺子屋大仙寺での「つくらない句会」

三重県伊賀市にある大仙寺の寺子屋寺子屋大仙寺」。

その寺子屋のサポーター(「寺子屋サポーター」)をしている関係で、昨年3月から、1年に1回、寺子屋に来ている中学生たちと「言葉で遊ぶ」機会をいただいています。 

昨年は、図書館たほいやで遊びました。

iga-daisenji.hatenablog.com

librarytahoiya.wixsite.com

 

今年は、オミクロン株の影響で、寺子屋自体が一時期、オンラインやハイブリッドでの開催だったこともあり、いろいろ考えた結果、千野帽子さんが『俳句いきなり入門』(NHK出版)で提案されている「つくらない句会」をやってみることにしました。

 

「つくらない句会」とは、その名のとおり、参加者が俳句を創らずにおこなう「句会」のこと。
今回は、中学生対象にした「つくらない句会」ということで、

現代俳句協会現代俳句データベースから12句、

長谷川櫂(監修)・季語と歳時記の会(著)『大人も読みたい こども歳時記』(小学館に掲載されている小中学生の句から11句

 

そして…

AI俳句協会「AIが作成した俳句一覧」からAIの作成した俳句12句を選び、

合計25句からなる俳句リストを作成しました。

 

この中から、「一番「これだ!と思う句」(特選)を1句、「好きだな」「気に入ったな」と思う句(正選)を4句、「これはない!」「文句つけてやりたい」句(逆選)を1句選んでください、とお願いしました。

それぞれの句を、2回ずつ、わたしのほうで読みあげて、少し時間をとったあと、結果発表。

その結果、こんな感じの結果(画像に示したものは、そのうちの一部です)となりました。

f:id:kimisteva:20220319193136j:image

 

もっとも高得点をとった、2つの句は大人も読みたい こども歳時記』(小学館に掲載されていた中学生の句だったのですが、個人的に面白かったのは、AIの作成した句がけっこう大健闘していたことでした。

たとえば上記画像で「4点」をとっているこちらの句。

 

これを「特選」といって紹介してくれた生徒もいたので、その生徒にはどんな想像の世界が広がっていたのだろう…と思いを馳せてみると、そのわかるようで、わらかない世界が見えるような見えないような不思議な感覚に包まれます。

 

一方、「全部、意味わかんないもん!」といって、「特選」「正選」を選ばず「逆選」だけを紹介してくれた生徒もいました。

その生徒自身の気持ちとしては「全部『逆選』」だったようなのですが、今回は「『逆選』中の『逆選』」1句を選んでもらいました。

その生徒が単に、全部の句に対して興味を失って「全部『逆選』」と言っているわけではなくて、ひとつひとつの句に、きっちり、1つ1つ「ツッコミ」を入れてくれていて、それをメモとしてきちんと残してくれていた(!)ということにも感動しました。

 

俳句いきなり入門』の中にも、何もつかない句より「逆選」が付く句のほうが、ある意味、印象に残るところがあったり、インパクトを残したりするという点で良い、というようなことが書いてあったと思いますが、この生徒にとっても、ひとつひとつ「逆選」をつける、ということが、俳句との向き合い方として意味のあるやり方だったのかもしれません。

 

美術館での対話型鑑賞をはじめ、ひとつの作品に対していろいろな人の「見方」に触れ、それについて話しを聞く時間は、やっぱり、わたしにとって特別な時間だとあらためて感じた時間でした。