kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

国際子ども図書館「絵本に見るアートの100年」展

昨日1日お休みをいただけたので、国立国会図書館国際子ども図書館で1/19まで開催していた「絵本に見るアートの100年―ダダからニュー・ペインティングまで」展に、すべりこんできました。
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今年度から、横浜国立大学附属横浜小学校でいっしょに授業のお話などをさせていただいてる先生が、「絵本を読むこと」に関心を持たれていて、「絵本にかかれている絵を見ること/読むこと」に着目した授業開発をされているので、わたしも先生とお話をしながら、絵本の中の「絵」について考えることが増えました。

今週、1/25(土)に開催される横浜国立大学附属横浜小学校での研究発表会でも、「みんなでよもう! えほんのせかいへ!」という授業名で、絵本の絵と言葉とを関連させて読むことの授業を行う予定だということで(附属横浜小学校研究発表会のご案内はこちら→PDF)、絵本のなかの絵についてもっと知っておきたいなぁ…!と思っていたところだったのでした。

 「絵本に見るアートの100年」展では、「ダダ」、「シュルレアリスムの系譜」「ロシア・アヴァンギャルド」「チェコアヴァンギャルド」「バウハウスとニュー・バウハウス」「グラフィック・デザインの可能性」「日本のモダニズム」「第二次世界大戦後の美術の展開」という流れで、絵本にみる近現代美術史が紹介されていきます。

展示されている作品を見ていると、たしかに、近現代のアートの展開がわかる!と同時に、絵本というメディアがいかに、アートやデザインの実験場であったのかがわかり、非常に興味深かったです。

 

展覧会で紹介されていた絵本を、一部、ここで紹介したいと思います。

 

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言葉の教育の研究者として授業研究に関わる~石川晋『学校とゆるやかに伴走すること』

先週末、ようやく、教員免許更新講習も終わり、ようやく「万が一、倒れてしまってもどうにかなる」というくらいの予定になってきたので、本棚に入ったまま、開くことすらできずにいた、石川晋(2019)『学校とゆるやかに伴走するということ』(フェミックス)を読みました。

 

11月上旬に、永田台小学校の公開授業研究会で、石川先生ご自身にお会いした際、なんと本書をご恵投いただくという僥倖に恵まれました。それなのに、今の今まで開けずにいたというのは、なんともお恥ずかしい。

 

でも、それには、理由があります。

その理由は、わたし自身が、これまで、相当ひどいかたちで、教師教育の現場に関わってきており、自分には、教師教育について語る資格どころか、考える資格すらないのではないか、と思うことがしばしばだからです。

わたしが、現在の職場に着任して、いくつかの学校の研究協議会に「外部講師」として伺う機会がありましたが、スタートからわずか1年くらいの間に、心理的な病をかかえ、現場を離れざるを得なくなる先生が複数いらっしゃいました。

わたしが「外部講師」としてうかがった公開授業終了後、間もなく、倒れられる先生もいらっしゃいました。

その場に関わる教師たちの学習・発達のための授業研究会や校内研修が、その本来のねらいとはまったく逆に、教師たちにストレスとプレッシャーだけを与え、心理的な病まで引き起こしてしまっている。

それが、わたし自身の「教師教育」に関わる経験のスタートでした。そのため、今でも自分は「教師教育」に関わる資格はないと思っていますし、今の仕事を辞めるべきではないかと思い悩んでばかりです。

 

そのような状況にあるわたしにとって、本書を読むことは、かなりしんどいに違いない……立ち直れなくなってしまうかもしれない。そんな不安を抱えながら、本書を開きました。

案の定(?)と言ったらよいのでしょうか。本書の中にあった、次のような記述を読み、読後、かなり落ち込みました。

とはいえ、これは実はなかなか難しいことでもあるのです。というのは従来校内研修は、教科教育=授業づくりベースなので、校内の先生方ご自身も教科の専門性を高めるという学び方以外の学び方があることに(経験がないので)関心が向けられません。また外部から招聘する講師も、教科の専門性が高い方になりますが、こうした専門性の高い方が、場づくりに精通しているとはいえないことがほとんどです。従って、よかれと思ってこんこんと教科の難しい話をねじ込んでいき、校内研修の場が冷え切ってしまうというようなことが起こります。(石川晋, 2019, p.127)

 

まさに、わたしのように、「外部講師」で呼ばれる人間のことです。

このようなことを言うと、「開き直っている場合か!」と批判されると思います。その批判はごもっともです。わたし自身も、常に、自分に対してそのような批判を向けています。ですので、いつも「授業研究会の講師に招聘しないでほしい」と公言しています。

それでも立場上行かざるを得ないので、「今、ここで自分にできることもあるかもしれない」とわずかな希望をもって、授業が行われている現場に身を置いてみることにしています。そして、自分がその場に身を置くことで感じたことを、できるだけ言葉にしてみることにしています。

全体に目くばりして、場づくりをする(!)なんて、そんなすごいことはまったくできそうになく、自分の身をそこに置くことしか、自分にはできないのです。

 

だから、とにもかくにもそこから初めてみよう…と、ようやく思いはじめたのが、つい2年前くらいのことです。

そのようなかたちで考えなおして、自分なりのかかわり方を見出そうとしていた時期に、渡辺貴裕先生(東京学芸大学)が、全国大学国語教育学会第134回大阪大会で、公開講座「学校で取り組む国語科授業研究の展開② ~学校・教育委員会・大学など異なる立場からのかかわりを活かして」PDF)をコーディネートされることになり、その場に「コメンテーター」として招聘していただくという機会を設けていただきました。

この公開講座では、学校の管理職・教育委員会の指導主事・教育方法学の研究者それぞれの立場から見た授業研究の実践報告がなされました。わたしの役割は、それぞれの実践報告から見出される共通の知見を「コメンテーター」という立場でまとめ、国語科教育学の理論や自分自身の経験を踏まえがら、「教科教育の研究者は、授業研究に何ができるのか?」をお話しすること。

この機会をいただけたことで、枯れ果てた荒野にようやく小さく芽吹いてきた「何か」に、自分自身で言葉を与えられたことは、わたしにとって、本当に大きなことでした。

そのときに、お伝えできたことも、結局は、「言葉の学習が行われている現場に、自分の身体を置いてみること、そこで見えたことを、国語科教育にかかわる種々の理論や言葉を支えにしながら、言語化すること」というに尽きるので、「だから、なんだ」と言われそうですが、それでも、やっぱりそれしかできないと思うのです。

それでも、何か言葉にしてみることで、そして同じ現場を見ていた人たちと言葉を重ね合わせながら、みんなで一緒に、今ここで見たものについての言葉を創造していくことで、世界は変わっていくのだと思います。

 

言葉によって、私たちの世界が見せる相貌はまったく変わってくる。

だからこそ、その言葉の力を信じて、みんなが幸せになれる言葉を生み出していくことに賭けてみる。

その公開講座から、もう2年近くが経ち、来年上旬あたりにはそろそろ公開講座のオンライン・ブックレットが発行されるのではないかと思える時期にもなりましたが、やはり、「国語科教育研究者の立場から」、授業研究にかかわる意義を述べよ、と言われたらそう答えるしかない、という思いは変わっていません。

 

『学校とゆるやかに伴走すること』を読んで、そのときの公開講座のことを思い出しました。

「言葉する者(Languager)」になるための辞書あそび~「コレハヤ辞典」

今年度の大学院の授業「国語カリキュラム論演習Ⅱ」では、何回か、わたしが今、考えている言葉の教育のアイデアについて発表し、それに関わる活動なども入れながら、ディスカッションをしてもらっています。先週と今週は、2週間連続で、わたしが発表するターンだったので、2回シリーズでひとつのテーマについて取り上げることにしました。

今回2回シリーズでとりあげたテーマは、「『言葉する者(Languager)』としての学習者を育てる辞書学習」です。

 

「Languager」という語は、今年3月に、イースト・サイド・インスティテュートでの集中プログラムを受講した際に、Gwen Lowenheimの「日本語で遊ぼう(Playing with Japanese)」でのワークショップをはじめ、本プログラムの中で複数回か耳にした語です。わたしにとっては、Lois Holtzmanによる「Languageを動詞として捉えたい」という言葉とともに、とても印象に残っている言葉のひとつでした。

「Languager」という語についてもっと知りたくて、Holtzman先生に「Languagerについて知るためのリソースを紹介してほしい」と依頼したところ、Louis Hotzman(2015)「Vygotsky on the Margins: A Global Search for Method」の講演原稿を送っていただきました。

上記サイトのリンク先で公開されている原稿に「Languager」という語は登場しないのですが、送っていただいた講演原稿の中には、下記のような「Languager」の説明がありました。

ヴィゴツキーの思考,話すこと,模倣,補完の特徴描写におけるひとつの示唆は,意味の形成が,言語を使用することの結果ではないということです。むしろ、言語発達のプロセス(Languagerになること)は,意味を形成するために言語を学習するというものではありません。まったく逆です。ヴィゴツキーは,意味形成が,言語形成を「先導する」ことを示唆しているのです(弁証法的に、学習が発達を先導するように)。…さらに,そのような意味形成のパフォーマンスは,ルールに支配された社会的な言語使用者になるためにも,言語形成者になるためにも必要なのです(Newman and Holzman、2013/1993, pp.112-118)」(Holtzman ,2015; 訳は引用者)

考えてみれば、わたしが翻訳に携わったキャリー・ロブマン&マシュー・ルンドクゥイスト(2016)『インプロをすべての教室へ』(新曜社)の中にも「私たちは,言語を創造すると同時に言語を使用する種でもあるという,矛盾した存在です。ヴィゴツキーが教え るように,言語とは,人間という存在が創造してきた道具であり,これからも創造しつづける道具なのです。」(p175)があり、フレド・ニューマン&フィリス・ゴールドバーグ(2019)『みんなの発達!』新曜社)「言葉というもの!」の中にも、同様の議論はあるので、それら長年かけて醸成・共有されてきたひとつの言葉に対する見方に「Languager」という名前が与えられただけなのだと思います。

が、なにかに名前が与えられることで、わたしたちは次の動きを考えることができます。すくなくともわたしは今、これについて考えたいという気持ちでいっぱいなのです。

そんなことを考えていた矢先に、まさに「言語を使用しながら、言語を創造する」ゲームに出逢いました。それが、ピグフォン『コレハヤ辞典』です。(参考:コレハヤ辞典 完成しました! - ピグフォン:アナログ思考で作ってみよう!)

ブログ記事を見てみると、「まだ発見されていない新語を人々の意識の奥から 掬い取る画期的な仕組みを開発した」と書かれていて、「おお!」と思わずにいられません。

 

…というわけで、受講生たちにこれまで国語教育で経験してきた「言語を創造する」活動を思い出してもらったり、「言語を創造する」活動についてのアイデアをいろいろ自由に出してもらったりしたあとに、『コレハヤ辞典』にトライしてみました。

 

大学院生(近現代文学ゼミ2名、日本語学ゼミ1名、教育心理ゼミ1名)の計4名で「編集部」わけをしたところ、なぜか、近現代文学ゼミが「第1編集部」、日本語学&教育心理で「第2編集部」という結果に…いささかゲームが成り立つかどうか不安を抱えつつ、「研修」にトライ!

 

日本語学ゼミの学生が(なぜか)若干苦戦していたものの、5分も立たないうちに全員の新語が完成し、編集部内で新語の確認を行います。編集部内では「おおー」「わかるわかる」の声。

「これは、わかるでしょ」などと言いながら、お互いに原稿を交換し、「校正」のターンに入ったところ……事態は一変します。

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編集部内の意思疎通には問題がないようです。編集部間に問題が…

「これは、わかるでしょ」と自信満々だったはずの第1編集部の新語でしたが……第2編集部、まったく復元できません…!

結果、第1編集部は「再校正」が1回かかったものの、2語とも校正完了。しかし、第2編集部は、第1編集部の新語をまったく復元できず「校正失敗」となりました。

そんなかたちででてきた4語のなかで、「これぞ」と思うものに投票をしてもらったところ、「へにへに」(チューブ状の容器の中身がなくなりかけて、ペラペラになっている様子)が、新語候補に選ばれました。

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「研修」で候補として選ばれた新語は「へにへに」でした

そして迎えた「本番」。

……なのですが、事態はさらに悪化。今度は(なぜか)第1編集部・第2編集部ともに、「校正失敗」となりました…!(笑)


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受講生たちとのアフタートークの中では、「第1編集部は、文学とか詩しか扱ってないから」「第2編集部は、ビジネス書しか扱わないからね」など、各編集部の編集方針(?)の違いが浮き彫りになって、面白かったです。

受講生のひとりから「かなり自分に向き合った」という感想がありましたが、自分が「当たり前」に思っている言語に対する感覚や、言語を創造するときに自分が知らず知らずのうちに足がかりにしている「何か」に向き合うきっかけになるようです。

 

受講生の中に、非常に豊かな個人方言(idiolect)の持ち主がいることが判明したり、その受講生が、家族・親族や友人などミクロなコミュニティと複雑かつ多層的にかかわるなかで、自分自身の個人方言を編み出していることが見えてきたり、かなり、言葉を使用しながら創造する種としての人間にせまるような話が展開されていたように思います。

 

言葉を使用しつつ、創造する主体としての「言語する者(Languager)」になること。

そして「言語する者(Languager)」としての自分のありかた、そのスタイルを振り返ること。その意味をあらためて考えさせられました。

 

「コレハヤ辞典」については、11/12~11/14にパシフィコ横浜で開催される「図書館総合展」内にて、ゲーム開発者のピグフォンさんもお呼びして体験会を開催することが決定しております!

「辞書で広がる言葉と読書~辞書を使ったゲーム~」@図書館総合展

 

 

ご関心のあるかたは、ぜひお越しいただければ幸いです!

文学者にまなび、あそぶ!現代メディアの文章表現~『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』

酒井信(2019)『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』(左右社)を読みました。

わたしが担当している「初等教科教育法(国語)」の中で、ある学生たちのグループが「炎上」をテーマにした模擬授業を考えたい! と言っていて、その学生たちと「どんな炎上ツイートを教材にしたらよいか」について相談していた時期に、たまたま書店でこの本の帯(「炎上しない技術と文章力」)を見つけ、「これは、あの学生たちの参考になるかも」と思い、本書を入手しました。

このような経緯があったこともあり、わたしにとって本書は、「炎上しない文章術」について書かれた本というイメージがあったのですが、全体を通して読んでみると、「炎上」について取り上げられているのは、主に、はじめの2回分(「第1回 個人のネット炎上パターンとその予防策・善後策」と「第2回 企業のネット炎上パターンと情報メディア・リテラシー」)だけ。第3回に「メディアの基本理論を踏まえた文章表現とメディア・リテラシー」があるものの、基本的には、大学初年次生向けのアカデミック・リテラシーのテキストである。

そういう意味では、「内容紹介」で、「「企業のSNS担当者」「ビジネス・パーソン」におすすめ」と書いてしまうことには、少し違和感がある。

本書の「はじめに」にあるように、「現代的なメディア・リテラシーを高めるための教育と文章作成の教育を組み合わせた」、大学初年次生向けの基礎教育テキストと位置づけたうえで、その内容のいくつかが、「企業のSNS担当者」「ビジネス・パーソン」にも有用でありうる、というほうが正確であるように思える。

 

そんな実用的な側面よりなにより、本書の面白さは、「炎上」対策をはじめとした「現代的なメディア・リテラシー」と、文章作成教育の組み合わせ方、その独特なアプローチにあるように思う。

本書の著者は、『最後の国民作家 宮崎駿』(文春新書)や『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社)の著者である酒井信氏。メディア論の専門家でありながら、文芸批評家でもある酒井氏による「現代的なメディア・リテラシー」と、文章術とのつなぎ方が非常に独特で、興味深い。

 

その「つながり」に用いられているのが、文学者によるテキストである。

たとえば、本書の第4回・第5回では「コミュニケーション能力を高めるための文章表現」として、三島由紀夫の『レター教室が取り上げられている。

 

三島由紀夫『レター教室』が「今日の価値観に照らし合わせて考えると、古さを感じる表現もあるが、全体として小説や戯曲のようでありながら、社会批評や実用書でもあり、手紙に限らずメールやSNSを用いたコミュニケーションにも応用可能な内容が含まれる」(『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』、p63)と紹介され、『レター教室』における三島の文学的表現にならいながら、「感情を豊かに表現する文章」「頼みごとをする文章」「断る文章」「よく知らない相手に対する文章」をトレーニングするという流れである。

この「演習」では、実際に、三島由紀夫の文学的表現(としかわたしには思えない)にならって、文章を書いてみる活動が示されている。たとえば、次のような三島のテキストにならって、ワークシートの空欄を埋めるかたちで「お金を借りる文章表現」を完成させるというような活動である。

 

…(前略)

 青春のバカバカしさに対して客観的な立場に立つことのできる、知性ゆたかな人が、それをまるで、庭土の上に戸惑うアリのようにながめながら、軽蔑と気まぐれから、一つまみの砂糖を投げ与えるように、お金を貸してくれることを夢みています。

…(後略)(三島由紀夫「借金の申し込み」『レター教室』)

 

これにならって、学習者たちは、「あなたのように(1      )人が、私をまるで(2     )のようにながめながら、(3      )のようにして、お金を貸してくださることを夢みています」の空欄を考える。

自分と相手との過去・現在・未来にわたる関係性を考えること、そしてユーモラスに表現すること、がここで求められるポイントである。

このような三島由紀夫のテキストにならった演習が続いたあとに、「第6回 メールの文章表現と基本的な敬語の使い方」が続く。

 

2019年8月1日に開催された日本学術会議によるシンポジウム「日本学術会議公開シンポジウム 「国語教育の将来:新学習指導要領を問う」をはじめ、高等学校学習指導要領の改訂によって、「文学」の定義がより狭隘なものになるのではないか、という懸念が、文学関係者から寄せられている。

「文学的文章」が「実用的文章」「論理的文章」と並ぶひとつのカテゴリーとして示され、まるで、「文学」とは「論理的」でないもの、「実用的」でないものと位置付けられてしまっているようだ。

この懸念が、はたして「懸念」でしかないのか、あるいは、高等学校学習指導要領の改訂によって、あるいは、その先の実践の展開によってそれが現実化してしまうのかどうかは、まさに、今ここから、私たちが「文学」をどのようなものとして実践していくのか、にかかっているように思う。

本書は、「メディア・リテラシー」という名で、また「(実用的な)文章表現の技術」をまなぶためのテキストとして、文学者によるテキストを位置付けた点で、私たちが今後、この問題について考えていくための実践的な示唆を与えてくれる。

 

それに比して、「炎上」を取り上げた第1回~第2回でとりあげられる事例では、日本ディズニーの公式Twitterアカウントによって、2015年8月9日にツイートされた「なんでもない日おめでとう。」などが、単に「公共性を損ね、社会常識に反する書き込み」と評されており、そこで生じていたコミュニケーション上のトラブルを、送り手、受け手、社会・文化的背景などの視点から分析的にとらえるような記述はなされていない。

nlab.itmedia.co.jp

もちろん「演習」として、これらの炎上事例について、学習者に自分の考えを書かせる課題はある。けれども、炎上事例を「社会常識に反する」「公序良俗に反する」といったかたちで断罪してしまう姿勢は、従来の情報モラル教育やネットリテラシー教育にありがちな、教条主義的な姿勢と通ずるところがあり、残念に感じてしまう。

文学者テキストにまなぶ文章表現が、ユーモラスな表現によって、固定的な関係を解きほぐしていくようなものであっただけに、そのような学習と、炎上事例をもとにした現代的なメディア・コミュニケーションの学習とをうまく接合することはできないものだろうか。

おそらく、これについて考えていくのは、本書を読んだ私たちに託された、次なる仕事なのかもしれない。

 

「好奇心(curiosity)」と「質問をすること(Asking questions)」~Raquell Holms「STEAM教育へのパフォーマンス・アプローチ」

筑波大学東京キャンパスで行われた、「インプロサイエンス(Improvscience)」のRaquell Holms先生によるセッションに参加してきました。(以下、Dr. Raquell Holms「STEAM教育へのパフォーマンス・アプローチ」案内より)

 

「STEAM教育へのパフォーマンス・アプローチ」

インプロ・サイエンス(improvscience)の代表・創設者で、イーストサイド研究所(East Side Institute)のアソシエートでもある、ラクエル・ホルムズ(Raquell Holms)さんが東大Global Faculty Development Initiativeでの講義のために来日されます。来日中にパフォーマンス心理学、パフォーマンス・アクティビズムの研究者、実践家と話しがしたいということで、以下のようなセッションが実現しました。ぜひご参加下さい。

 

ラクエル・ホルムズ(Ph.D)は、インプロやパフォーマンスをもちいて、科学研究コミュニティーの成長にアプローチする方法開拓のパイオニアです。もともとはタフツ医大やハーバード医科大で細胞生物学者として訓練を受けましたが、現在は計算科学ならびに高度計算技術領域で仕事をしています。ImprovScienceの創設者として、イーストサイド研究所での人間の発達と成長に関するトレーニングを協同的学習と研究の環境制作に利用しています。ワークショップや、プログラム開発、講演を通じて、米国各地の科学者が学問領域や文化の壁を超えて、研究者能力の成長と拡張を手助けしています。彼女派、現在Adjunct Research Associate Professor at the Simon A. Levin Mathematical Computational Modeling Sciences Center at Arizona State Universityです。又2019年6月のニューヨーク市大Stony Brookでおこなれた、Applied Improvisation Network Conferenceのキーノートスピーカーでした。

 

「インプロ(即興)」「パフォーマンス」×「サイエンス」というと、どうしても米国科学振興協会(AAAS)の「博士号を踊ろう(Dance Your PhD)」を 思い出してしまうわたしです。

www.sciencemag.org

 

…が、今回の話ではもっと「科学の本質(nature of science)」に迫ったインプロの導入についての話を聞くことができたことが、とても面白かったです。

 

そこで、キーワードになっていたのは、「好奇心(curiosity)」「質問をすること(Asking Questions)」。

 

たとえば、「質問をすること(Asking Questions)」に関しては、次のようなアクティビティが紹介されました。

 

◎質問をする(Ask Questions)

[1]できるかぎりたくさんの質問を見つける

自分たちがいる部屋の中を見渡して、できる限りたくさんの「質問(Question)」を見つける。

(例:「あのライトはどうして光っているんだろう?」「このプロジェクターはどのように吊り下げられているんだろう?」など)


[2] 他の人が見つけたQuestionに付け足していく
・他の誰かが言った質問に付け足すかたちで、質問をしていく。

 

 このアクティビティによって、他のメンバーに対して注意を払いつづけていくことができる、とHolmz先生は言います。間違えることに対する恐怖を取り除いたり、自分では思いつかなかった質問を思いつくきっかけを得たりすることができるのだ、とも。

もちろん、このアクティビティは「好奇心(curiosity)」ともつながっています。特に[1]のアクティビティでは、それまでほとんど関心を払うことのなかった部屋の隅々にまで目を配り、そこに自分から積極的に好奇心を働かせようとしなければ、「質問」は見えてきません。また[2]では、他のだれかの質問に加えていくかたちで質問を考えなければならないので、自分がまったく注意を払っていなかった対象に対して、積極的に関心を持つことが求められます。

 

これまでほとんど関心にのぼらなったことに対して「好奇心」を持つこと、そして、それに対して「質問をすること」。

シンプルだけれども、これこそが「科学(science)」そのものだ、というHolms先生のアプローチは、とても印象的でした。

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科学未来館常設展「アナグラの歌」。好奇心をもっていろいろやってみることが、すてきな歌につながっていきます。

奇遇なことに、昨年度から今年度にかけて、複数回にわたり、国語科における「質問をすること」にかかわる授業の研究にかかわってきたこともあり、自分自身が学校における授業研究で取り組んできたことと、科学の本質とが、しっかりと結びついていたことを実感できたことも、非常にうれしいことでした。

 

パフォーマンス心理学の研究会に参加するようになってから、「インプロ」にしても「パフォーマンス」にしても、「こんなにいろいろ学んできているのに、自分では何も実践できていないなぁ…」と落ち込むことばかりだったのですが、あらためて、Improvisationの考え方と自分自身の仕事との重ね合わせ方について、じっくり考えていくための視点をもらうことができた研究会でした。

やってみよう!TRPG型物語創作教材『物語の世界を旅しよう!』

昨年度、電気通信普及財団による助成研究「デジタルメディア社会における「情報活用能力」育成に向けた基礎理論の構築」(共同研究)PDF)成果を踏まえたTRPG型教材の制作を遊学芸・保田琳さんに依頼し、2019年3月に、その成果物である物語の世界を旅しよう!を世に出すことができました。

…が、その後、なんのフォローもできないままにいたところ、なんと有志の方が、『物語の世界を旅しよう!』収録のサンプル・シナリオ「仕事のできない木こり」を使ったリプレイ動画を制作してくださいました。

…ありがたすぎて、言葉がありません!


【物語の世界を旅しよう】仕事のできない木こり【ゆっくりTRPG】

 

あまりに、ありがたすぎて言葉を失い、さすがに自分で何もしなすぎだろう!と反省したので、『物語の世界を旅しよう!』の経緯と、その教材としての可能性について考えることをブログに書きたいと思います。

なお(動画中でも触れていただいてますが)『物語の世界を旅しよう!』は、YNUリポジトリから全文ダウンロードできます。遊学芸ホームページにもリンクをはっていただいています。linedline.wixsite.com

さて、もともとこの共同研究プロジェクトは、英国におけるメディアリテラシー教育の近年の動向とそれを踏まえた研究・実践の知見を整理し、日本における今後の教育のありかたへのに結び付けようというものでした。

英国におけるメディアリテラシー教育については、電子書籍(EPUB/PDF)として無料公開した、アンドリュー・バーン(2019)『19歳までのメディア・リテラシー』(ratik)や、その理論編ともいえるアンドリュー・バーン(2017)『参加型文化の時代におけるメディア・リテラシー』くろしお出版)にわかりやすく整理されているので、そちらをご覧いただければと思います。

★『19歳までのメディア・リテラシー:国語科ではぐくむ読む・書く・創る』アンドリュー・バーン Andrew Burn 著/石田 喜美 奥泉 香 森本 洋介 訳

 

もともと、研究成果としてTRPG型教材を提案しよう!と思ったきっかけは、バーン先生がビックリするくらいゲーム好きだった(笑)ことと、『19歳までのメディア・リテラシー』第5章で紹介されている「ゲームのデザイン」の実践、さらにいうと、「ゲームの物語システム(ナラティブ・システム)」に関する学習に、わたしがいたく影響を受けたことにあります。

これについては、むしろ、『参加型文化の時代におけるメディア・リテラシー』第6章「ポッター・リテラシー」、第7章「ゲーム・リテラシーの方が詳しく書かれていますが、ゲームには、あるストーリーを語るための独自の物語システム(ナラティブ・システム)があるということ、それについて子どもたちが、実際のゲーム・デザインを通じて理解していく、という学習が非常に印象的でした。

ここで紹介されている事例は、下記の記事でも紹介した、ゲーム・オーサリングソフトの「ミッションメーカー」を通じたゲームデザインと、ゲーム制作を通じて学んでいくというものでしたが、ここで扱われているような「数量化・計算可能な物語」、「条件分岐によって進んでいく物語」のような、ゲーム特有の物語システムを少しでも感じられたり、そこから考えたりできるような教材は作れないだろうか、と考えました。

kimilab.hateblo.jp

そんなことをモヤモヤと考えているときに、遊学芸の『メイキングアレグ』のことを思い出しました。

単に用意された脱出ゲームを楽しむだけではなくて、脱出ゲームを作ることそのものが組み込まれている『アレグ(UREG)』。その仕組みを考えられてきた遊学芸・保田さんだったら、きっと、子どもたちがゲームならではの物語づくりを楽しみながら、その物語の語られ方の特徴や工夫に気付くような教材を作ってくれるのではないか、と思いました。

linedline.wixsite.com

そうしてできた教材が、TRPG型物語創作教材『物語の世界を旅しよう!』です。

本来の制作意図からすれば、まずは国語科教科書に掲載された教材に沿って、言葉で物語を「書くこと」をしたあとに、ゲーム(TRPG)として物語を「書くこと」をしてみて、その違いを比べてみてほしいというのが本音です。

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小学校国語科における物語創作教材

冒頭に紹介したリプレイ動画では、サンプル・シナリオ「仕事のできない木こり」が紹介されていますが、これは民話(童話)『金の斧 銀の斧』に基づいています。『金の斧 銀の斧』の物語の世界を旅するしかけであると同時に、メディア・リテラシー教材という視点からみると、言葉で語られた民話(童話)としての物語『金の斧 銀の斧』と、ゲームとして語られる物語とを比較できるしくみになっているわけです。

…とはいえ、なかなか一足飛びに「ゲームによって物語を『書くこと』」を、授業の中で行っていくことは難しいでしょう。

そうであれば、せめて、「総合的な学習の時間」や「クラブ活動」の中で、子どもたちの興味・関心に応じて、「ゲームづくり(TRPGづくり)」を楽しむというようなシンプルな目的で使ってもらえたらいいな、と思います。

また、『物語の世界を旅しよう!』には、サイコロを振って物語の舞台や登場人物を作成できる表が収録されているので、まずはこれだけを使って、ランダムに物語の舞台や登場人物の設定を作りだし、そこからどんな物語を創造することができるのかを国語科の物語創作の授業としてやってみる!…というのも単純に楽しそうだな、と思ってます。

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登場人物作成表

今回、作成していただいたリプレイ動画を拝見して、率直に思ったのは、「知っている物語の世界を自由に旅できるって楽しそう!」でした。

やっぱりこういうのを見ているだけで、わたしもやってみたくなるし、このリプレイ動画を見て、「サンプル・シナリオ増やしたい!」って思いました(笑)


【物語の世界を旅しよう】仕事のできない木こり【ゆっくりTRPG】

 

そんなわけで、ゲームや読書などをテーマにしたクラブ活動・部活動のアクティビティとしてやってみてもらえるのが、まずは入り口なのかな、と思っています。

小学生でも遊ぶことができるように、ゲームデザイナーとわたしと二人で、ひとつひとつの言葉を吟味してきた経緯もあるので、「小学生でもあそべるTRPG」としては、かなり使いやすいものになっていると思います。

ぜひ、いろいろな方に遊んでみてもらえたら、うれしいです。

 

※追記(2019/8/30)

公益財団法人電気通信普及財団1.情報通信に関する法律、経済、社会、文化等の社会科学分野における研究 | 」の報告書がアップされましたので、リンクを貼りました。報告書のPDFはこちらからダウンロードできます。

「デジタルメディア社会における「情報活用能力」育成に向けた基礎. 理論の構築―英国のメディア・リテラシー研究における近年の動向に着目して」(PDF)

パフォーマンス学習の場としての模擬授業をやってみた。

 

今日は、わたしが学部で担当している「初等教科教育法(国語)」の最終回でした。

「初等教科教育法(国語)」は、学部2年生対象の必修授業です。約240名を春学期2クラス、秋学期2クラスの計4つのクラスに分けて実施するのですが、現在はそれをすべてわたしひとりが担当しています。

このような状況なので、クラス規模が60名程度となり、そのままのクラス規模で模擬授業をやってしまうと、なかなか、自分自身の教師としての働きかけがどのように受け止められているのかを見たり、学習者の学習の様子を見とったりすることが難しいので、この授業を担当した当初から、30名×2クラス同時並行のかたちで、模擬授業を実施しています。そして、昨年度までは、ティーチング・アシスタント(TA)として手伝ってくれる大学院生がいたので、模擬授業を行う2~3回分の授業だけはTAの方に片方のクラスを見ていただいていました。

…が!!

今年度はついに、頼りにしていた院生たちがことごとく社会に出ていってしまい、TAなどのかたちでどなたかに手伝ってもらい、片方の教室を見てもらうことができなくなってしまいました。

そんなわけで、3月後半あたりから、「どうしよう~」とかなり頭を抱えていたのですが、そんな矢先に、紀伊国屋新宿本店で行われた「リフレクション(省察)で教師は育つ!」に参加し、(直接的にそんな話はなかったのですが)、渡辺貴裕先生の『授業づくりの考え方』(くろしお出版)で紹介されている「対話型模擬授業検討会」を、ロールプレイを通じて学生たちに経験してもらいながら、自分たちで模擬授業を進めていけるようにできないだろうか、という発想に至りました。

 

kimilab.hateblo.jp

 

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これは、わたしにとってはかなり大きな決断でした。

それまで、わたしのゼミに所属していたゼミ生から、「〇〇先生、模擬授業のときに授業に来なくかったんですよ~!」みたいな不満の声を聴くこともありましたし、学生たちの不満につながる危険性も十分にあると思いました。

でも、自分たち自身で、模擬授業をして、お互いの授業を見て、そこから学びあえるようになることは、省察的実践家としての教師を育てていくうえでは、大切なこと。

そうであるとすれば、学部2年生の段階で、どこまでできるかはわからないけれど、ともかく、自分の考えられる最大限の配慮をしながら、できるところまでやってみよう!と思い、今学期の授業では、“模擬授業をお互いにやってみて、話し合い、そこから学ぶ”という活動を、繰り返して体験できるようにしてみました。

はじめは、『授業づくりの考え方』で掲載されている事例のロールプレイを経験して、次には、2チームごとのペアになってお互いに模擬授業のための学習活動のアイデアをやってみる段階、それを2~3回繰り返して、最後のステージに、30名の学生たちを対象にした模擬授業をやってみる…という流れです。

 

1.対話型模擬授業検討会のロールプレイ

 対話型模擬授業検討会の記録映像Youtube上で公開されており、日本教師教育学会「学会企画関連企画報告書」のページにそのリンクと、その文字化資料が掲載されている報告書『「対話型模擬授業検討会の実現とそれをめぐって』(PDF)が公開されているので、この映像視聴をするという手もあったのかもしれません。


180929模擬授業@教師教育学会

60人もの学生たちの前でパフォーマンスをするというのは、けっこうリスクが高いので、映像視聴にすべきかどうか最後まで悩んだのですが、結局、『授業づくりの考え方』で掲載されている事例について、まずはじめに、各チームから選ばれた人たちが、全員の前でロールプレイをするという活動を2シーン(「やってみる」「かえりみる」)やってみることにしました。

わたしが担当しているのが、「国語」の教科教育法の授業であるというのも理由のひとつですが、ちょうどそれまで学生たちが学んできた学習の中で、リアクションペーパー(大福帳)に、「学ぶ目的と活動がずれないようにすることが大事だ」とコメントしてくる学生たちが多くなってきたので、自分たちでもロールプレイを見ながら、「ここはこうした方がいいんじゃないか」と気づいていけるといいかな、と思ったことが大きいです。

当日は、ロールプレイング・ゲーム的な感覚で参加してもらおうと思い、『授業づくりの考え方』の中の「登場人物の紹介」をカード化して、「キャラクター・カード」を作り、チームごとに、どれか1名の「キャラクター」にふさわしい(?)人を選出してもらうことにしました。

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対話型模擬授業検討会キャラクターカード

 この日の授業は、オープンキャンパス直前ということで、できれば通常、使用している教室をオープンキャンパスの準備のために使用したいというオファーがあったので、中央図書館のメディアホールというところで実施したのですが、そのせいで、なんか本当に舞台っぽい感じになりました!

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チームごとに選ばれた「キャラクター」の皆さんによる、2シーン分のロールプレイのあとは、グループごとに「キャラクター」を割りふっての読み合わせ。

この日の授業については、賛否両論で、“対話で書かれている文章なので、役割分担して読むことで内容がよくわかった”とか、“模擬授業からディスカッションして振り返ることのイメージがわいた”という学生もいれば、“みんな文章を読み上げることにいっぱいいっぱいで、なんでこんな活動をするのかがわからなかった”という人もいました。

そもそも、戯曲・脚本のような形式のものをみんなで読みながら、そこから何かを感じたり考えたりする…という学習のスタイルへの親和性がない人たちにとっては、このようなスタイルで学んでいくことにハードルがあるのだろうと思います。

 個人的には、「絵を描く」ことによって学んだり、「文章を書く」ことによって学んだりするように、実際に声に出して読んでみる、身体を動かしてみることによって学ぶ、というのもひとつの学習スタイルとして、みんなが使えるようになるといいなぁ、と思うのですが。

 

2.ペアごとに「やってみる」

ロールプレイを行った授業の次の週には、自分たちがこれまで考えてきた模擬授業のための学習プランを、実際にペアでやってみる活動を行いました。学生たちには「模擬授業のための模擬授業」と呼ばれてました。

…たしかに、そうですね。

 

この「ペアでやってみる」活動は、はじめるまでがなかなか大変そうでしたが、実際にやってみると、かなり実り多い活動になったようで、学生たちの多くも、肯定的にこの活動を受け止めてくれていていたようでした。(そもそも、それまでに学習プランに対するアイディアを十分出しきれておらずに戸惑ったケースは多々あったようですが)

 

フォントの魅力を伝えよう!と頑張っていた「文字は文化だ!」チームは、ペアでやってみる活動を何回かやる中で、“フォントってマニアックな趣味だと思ってたけど、みんなに楽しんでもらえそう…!”という感覚をつかんでいったように思います。

2回目のペア活動のときには、“みんなが、ステキなフォントを書いてくれました!いっしょに入れておくのでぜひ見てください!”といったコメントとともに、そのときのペア活動で相手チームの人たちが作ってくれた「作品」を見せてくれました。

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「フォント」作品

ペアでの模擬授業の中で、「こんな活動で大丈夫かな…」という漠然とした不安を、自信へとつなげていったチームがある一方で、いろいろなチームとペアになりながら、「もっと活動をスムーズにするには?」「もっと充実した学習にするには?」と考えながら、自分たちの模擬授業をブラッシュアップしていったチームもありました。

 

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赤字修正が入ったワークシート案



このチームは、ワークシートに書かれた「お題」を、実際にやってみる中で見直していく…という活動の中で、数種類のワークシートを開発。さらにそれを何回にもわたって修正していき、改訂版を重ねていくなかで今日の本番を迎えていました。

 

そんな中でも、特に興味深かったのは、模擬授業用に用意した教室以外のスペースを利用することを提案したチームがあったことです。

 

事前調査の結果から、「大学生が予想以上に、新書を読んでいない!」という問題意識をもった「教育学部恋愛学科」チーム。

たまたま、2回目のペア活動のときに使った、8名定員のゼミ室がお気に召したようで、本番の模擬授業でも、このようなかたちで2つのゼミ室に新書コーナーを設置し、導入のレクチャーのあと、2つあるゼミ室に自由に移動をして新書を選びつつ読んでもらう活動を行っていました。

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並べられた新書

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新書を読む

実際に、机の周りに集まって考えているだけだとしたら、おそらく、「使う教室を変えよう!」とか「あの教室に、このように本を設置したらどうだろう?」というアイデアは出にくかったのではないか、と推測します。(とてもクリエイティブな学生たちだったので、もしかしたらはじめからあった発想なのかもしれませんが)

実際に「やってみる」ことで、環境の側の限界も見えてくる、だからこそ、環境そのものを変えられないか?という発想が出てくる……そんなこともありえるのではないか、と思いました。

 

3.約30人の学生たちに対する模擬授業

 

このようなペア活動を重ねたうえでの模擬授業本番。

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ワーク「若者言葉の現代語訳」

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「エモい」シーンを言葉で説明する

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心配になる「歯がいたい」

ほとんどの学生が、「はじめて授業をつくってみました!」という状況。

しかも「初等教科教育法(国語)」では、自分たちが得意な・好きな言語活動にもとづいて、自分たちが学習をギヴ(give)できる授業を考える…という「やったことのない」課題に取り組んでいるので、できあがってくる授業も、取り組みのレベルも、実にさまざま。

それでも、他のだれかがやっている模擬授業に関心をもち、それに学習者の立場から参加することは、なんだか自分の学びに役立ちそうだぞ!…という感覚そのものは、受講者の関わりのレベルにかかわらず、もってもらえたような気がします。

もちろん、「模擬授業(本番)のときにも、ペアでやっていたときと同じように、授業の後にいろいろコメントをしあえたらいいのに…」「もっと、自分たちで率直に、学習者として感じたことを交流しあうにはどうしたらいいだろう?」とか、わたしの中で、課題になったことは、たくさんありました。

それが、学部2年生の授業での限られた時間のなかで、どこまで実現可能なのかも、まだまだわかりません。

 

とはいえ、はじめての状況のなか、そのはじめての取り組みを一緒に創ってくれた2年生たちには、心から感謝しています。

次はまた、2カ月後に、同じ科目名での授業が始まります。今回の取り組みをどのように生かしていくか、また2カ月かけて、考えていきたいと思います。