kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

文部科学大臣記者会見「令和の日本型学校教育」を担う教師の人材確保・質向上に関する検討本部」について

萩生田文科相は、1月19日の記者会見で、文部科学省内に「「令和の日本型学校教育」を担う教師の人材確保・質向上に関する検討本部」を立ち上げることを表明しました。

この件に関しては、教育新聞が「「教師を再び憧れの職業に」 文科相、検討本部設置を表明」(2021/1/19)と報じるほか、Yahoo!ニュースに前屋毅さん(フリージャーナリスト)の記事「「憧れの職業」になっていないのは教員の責任なのか、萩生田文科相の気になる言い方」(2021/1/20)が掲載される他、それほど話題になっているわけではないようですが、私はこの省内の検討本部立ち上げと、それに対する文科相の説明に、大きな違和感を覚えました。

 

検討本部の立ち上げに関する違和感というのは、簡単にいえば、「なんで、それ、必要なの?」ということです。

記者会見では、これについて、はじめに次のように説明されています。

最後に、本日、私の下に「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上に関する検討本部」を設置することとしましたのでご報告いたします。

…(中略)…

この点、中央教育審議会においても「『令和の日本型学校教育』を実現するための、教員養成・採用・研修の在り方」について、今後更に検討していくこととされており、また、教育再生実行会議におけるご議論においても、個別最適な学びを実現するためには教師の指導力の向上も重要であるとのご意見を多くいただいていることから、当面の取組とともに、中長期的な実効性ある方策を文部科学省を挙げて検討していくために、私の下に検討本部を設置することといたしました。

私自身が先頭に立ち、質の高い教師の確保に向けて取組を進めてまいりたいと思います。 

ここで言及されているとおり、 すでに、この件についてはすでに、中央教育審議会でも議論が進められているのです*1

中央教育審議会の「『令和の日本型学校教育』を実現するため…」は、昨年(2020年)10月に中間報告を出しています。

「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(中間まとめ)(令和2年10月 初等中等教育分科会):文部科学省

その中で、教員養成・採用・研修について議論について言及された部分は、以下のとおり(概要PDF, p11)

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令和の日本型学校教育答申(中間報告)-教員組織のありかた(概要)

なお、1/26に答申そのもののまとめも出されましたが、その内容を見ても、中間まとめから、(2)と(3)のレイアウト(概要版に示されているスライドのレイアウト)が変更されたくらいで、内容としては、それほど大きな変更はなさそうでした。

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令和の日本型学校教育答申(まとめ)1/26発表

「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号):文部科学省

さてこれらの中に「(5) 教師の人材確保」として示されている内容の本文にあたると、以下のような記述があります。

● 近年、採用倍率の低下や教師不足の深刻化など,必要な教師の確保に苦慮する例が生じており、教育の仕事に意欲を持つより多くの志望者の確保等が求められている。(本文PDF, p71)

記者会見の中で「この点、中央教育審議会においても、…更に検討していくこととされており」と言われているのは、おそらく、このことを言っているのだろうと思います。

そうだとしたら、これまでどおり、中央教育審議会による議論の経過を見守り、答申を受けて、その政策的実現に努めれば良いのではないでしょうか。

なぜ、わざわざ中間報告が出されて数か月の段階で、その中の1項目について、突然、検討本部を設置することになったのか、がよくわかりません。

 

おそらく、同じような疑問を持たれたからではないかと思いますが、記者会見の中でも記者から、その検討本部の「具体的な運営方法と検討事項」って何なの?、と質問を受けています。

それに対する回答のなかで「目指すべき出口」として示された内容が、こちら。

最後、目指すべき出口は何かと言ったら、私、常に申し上げているように、教師という職業を再び憧れの職業にしっかりとバージョンアップしてですね、志願者を増やしていくということにしたいと思います。

そのためには、働き方改革や免許制度や、あるいはせっかく少人数やICT教育が始まるのに、今の教職養成課程では、もう誤解を恐れず申し上げれば、昭和の時代からの教職課程をずっとやっているわけじゃないですか。

そうすると、こんなに学校のフェーズが変わるのに、教えている大学のトップの人たちは、まさに昔からの教育論や教育技術のお話をしているわけですから、この辺も含めてちょっと大きく変えていかないと、時代に合った教員養成できないし、

また、その目指す教員の皆さんが、何となく今までは大変な職業だというのが少し世の中に染み付いてしまっていますけれど、やっぱり夢のある、やりがいのある仕事なのだということをしっかり理解してもらえるような、そういう教師像っていうものを求めて検討していきたいなと思っています。

教育新聞では、この冒頭の一文がタイトルで取り上げられていたわけですが、それに便乗するかたちで、突然出てきた「教職養成課程」への非難(?)がなかなかな内容です。「誤解を恐れず申し上げれば」という前置きをしつつ…

「昭和の時代からの教職課程をずっとやっている」

「昔からの教育論や教育技術のお話をしている」

…という批判が述べられます。

 

なぜ、突然このようなことを言いだしたのか。その根拠が、わたしにはよくわかりません。

さきほどお示しした、中央教育審議会の中間報告でも、「(5)教師の人材確保」は検討事項として挙げられていますが、その中に、教職養成課程の問題を指摘している部分はありません。

ではもうひとつ挙げられている教育再生実行会議の方かもしれない、と思って会議資料を見てみたのですが、最近の会議資料を見てみても、教職養成課程について述べられているのは「教職養成課程における『教育格差』の必修化」(松岡亮二「『教育格差』縮小のための政策提言」)くらいしか少し探したくらいでは見当たらず(探し方が悪いのかもしれませんが…)、ちょっとよくわかりません。

 

それもそのはずで、教職養成課程に関しては、2016年の教育職員免許法改正と「教職コアカリキュラム」の作成、2017年の教育職員免許法施行規則の改正を受けて、いま、「改革の真っ最中」という感じなのです。

これについては、2018年12月7日に行われた日本教職大学協会の研究大会で、文部科学省総合政策教育局長が発表された際の資料にも、わかりやすくまとめられています(『2019年度日本教職大学院協会年報』, p68)

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教職大学院協会2019年度研究大会-資料

このようは法改正、政策の実行をおこなっているただ中に、「昭和の時代」から変わっていない、「昔」から変わっていない、という非難の言葉を向ける意味は、いったいなんなのでしょうか。

佐藤郁也(2019)『大学改革の迷走』(ちくま新書)の第2章「PDCAPdCaのあいだ―和製マネジメント・サイクルの幻想」では、大学改革のなかでよく求められる「PDCA」が実際には、書類としての「P」と「C」の作成ばかりが強調される(=「PdCa」という)ミス・マネジメントサイクルになっていることが批判されています。が、今回の検討本部の立ち上げは、もはや「PdCa」ですらない。

「PdPd」(あるいは「PPPP」?)で、「Plan」の作成ばかりが目的化して、その根拠となるような「C」や「A」がないを合理化するために、「昭和時代」「昔」といったステレオタイプ的な見方が使われているのではないでしょうか。

 

同書のなかでは、大学改革が「道徳劇」となってしまっており、大学がその「道徳的」というドラマの中の主要キャラクター(=「馬鹿(愚か者)」)として位置付けられていることが、批判的に論じられています。

今回の批判も、大学における教職課程の教員を「馬鹿(愚か者)」役として位置付けることで、「道徳劇」としての教育改革を推し進めようとしているもののように見えます。

 

このような「道徳劇」を続行させ、一部のうまくいった大学や教員だけを「英雄」として位置付け続けたとしても、教師が「憧れの職業」になることはないでしょう。

教師をふたたび「憧れの職業」にしたいのであれば、誰も「馬鹿(愚か者)」にも「悪漢」にもならない、新たな「劇」を、みんなのパフォーマンスによって創り上げていく必要があるのだと思います。

 

*(2021/1/28) 1/26に、中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」が公開されたことにともない、記事内容を加筆しました。答申については、以下のページをご参照ください。

www.mext.go.jp

*1:教育再生実行会議についての言及もありますが、これは「教師の指導力向上が重要」だとたくさんの人が言っているよ、というだけなので割愛。

4回だけ会えた、学生たちとの授業のこと

今年度、1年間だけ、お引き受けしていた非常勤講師先の大学での授業が終わる。
夜遅くに開講される受講者7-8人の小さな授業。

 

春学期はすべてオンラインだったので学生たちに会うことすらかなわなかったけれど、後期は少しだけ、学生たちに会うことができた。

年明けに予定されていた対面授業は、緊急事態宣言発令の影響で、急遽、オンラインに変更になり、5回予定されていた対面授業は、4回に減ってしまった。たった4回だけ、だったけれども、それでも、その時間は、とてもかけがえなかった。

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羅生門

4回だけの「会える」時間によって、そのほかの10回以上の時間の意味が本当に大きくかわった。

最終回の授業は、学生たちに、同じ授業を受けているメンバーにおすすめしたい本を紹介しあう「ビブリオバトル」。


「チャンプ本」を獲得したのは、糸井重里『思えば、孤独は美しい』

www.1101.com

なんだか、いろいろこの1年間のことを考えさせられた。

オンライン授業の後、ミーティングルームを退出する学生たちを見送っていたら、最後にひとりの学生が残って、

「実は、途中から、教員になるのは辞めようと思ったんだけど、この授業で、みんなといろいろ話したりするのが楽しくて、授業だけは受けちゃいました」といってくれる。

その学生がわざわざ残ってそれを言ってくれた主たるねらいは、「期末レポートを出さなくてもいいか」と質問をするためだったのだけど、それでも、すごくうれしかった。

わたしたちの時間は、たしかに、そこにあったのだ。


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コンヴィヴィアリティのための家事~KOSUGE1-16《ようこそHouseworks Learning Centerへ》

横浜・日本大通り三塔広場とオンラインで同時開催されていた、「スナックゾウノハナinたばZ」で、KOSUGE1-16による《ようこそ Houseworks Learning Center へ》の関係者の皆さんとのトークが開催されると聞き、さらに、本プロジェクトで上映されているミュージカル映像も視聴できると知り、オンライン配信されたトークを視聴しました。

www.facebook.com

 

《ようこそ Houseworks Learning Center へ》は、家事(Houswork)にまつわるエピソードに基づくミュージカル映像を中心に構成されたインスタレーション作品。

先週末から展示公開された作品で、まだ展示会場には足を運べていないのだけれども、作品説明を読んだ段階で…

「これは絶対、エピソードを提供した人たち(=インタビュー協力者)の話を聞いたあとに観にいった方が、面白いやつだ!!」

…と思い、あえて、週末は自宅にこもりきりで仕事をして(単に、仕事が終わらなかっただけ、ともいう)、9月27日の夜にオンライン配信予定だったトークイベントを視聴することにしたのでした。

fsp.zounohana.jp

上記ホームページの中に記載されているように、本作では、シャドウワーク」としての家事仕事に焦点を当てています。

イヴァン・イリイリ『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う (岩波現代文庫) 』の中で、賃金労働(ワーク)とは異なり賃金が支払われないにもかかわらず、ワークと同様に、市場経済の存続を支えつづける影なる仕事(シャドウ・ワーク)として記述される、家事仕事。

それは、人間が本来おこなってきた根源的な諸活動であるにもかかわらず、市場経済のために埋め込まれることで、単なる「無払い労働」へと変質してしまっている、と、イリイチは批判します。

 

ここで重要なのは、家事仕事が、たしかに現在、市場経済を支える「シャドウ・ワーク」である一方で、それが、人間の本来的な諸活動でもあるということ。

本作の紹介文による、本作では、さらに、そのシャドウ・ワーク前近代的な活動(人間の本来的な諸活動)に戻すのではなく、「少しでもポジティブな存在としてアップデート」することを企図しているというのも、とてもエキサイティングです。

 

そうなってくると、どういう人たちにインタビューをして、本作が創られていったのか、という点がとても気になるわけですが、そのインタビュー協力者の選ばれ方も面白かった。

KOSUGE1-16のFacebookページでの紹介では、「家事には直接関係のない専門家の皆さん」と記載されていましたが、本当にそのとおりで、一見、「なぜ、この人が?」と思う方々ばかりなのです。

 

株式会社鈴廣蒲鉾本店・研究開発センターで、塩辛などの商品開発に携わっている長岡敦子さん。 

「極地建築家」として、南極地域観測隊や模擬火星実験など、極地での生活を経験してきた村上祐資さん。

www.fieldnote.net

 

鳥取大学医学部でイモリの心臓再生メカニズムなどを研究なさっている竹内隆先生。

www.med.tottori-u.ac.jp

数学者でトポロジーを専門として研究を行っている、青山学院大学の松田能文先生。www.agnes.aoyama.ac.jp

KOSUGE1-16のご近所さん(?)で、高知県で木造建築を中心とした建築設計やまちづくりにかかわっている艸建築工房の横畠康さん。

www.sou-af.jp

逆に、「どうして、この方々を集めようと思ったんですか?」と聞きたい気持ちになります。

 

しかし、この方々が一同に会するトークイベントのなかで、その方々による家事についてのエピソードによって構成されたミュージカル映像を視聴し、それにまつわる話を聞いてみると、それぞれの方々が、「ワーク/シャドウワーク」という枠から(完全に、自由ではないとしても)少し離れたところに、自分の軸足を置くことができる人たちであること。

そして、すこしズレた軸足の置き所から、(シャドウワークとしてではなく)ニュートラルな行為や現象としての「家事仕事」なるものを眼差されていることがわかります。

 

わたしが個人的に面白いと思ったのは、毎日決まった時間(午前9時30分)に、無機的にしまわれてしまう「東横イン」の「健康朝食」のシステムを、「このシステムは使える!」と家事システムに導入した村上先生のお話。

「家事=シャドウワーク」という捉えからはじまったであろう、このプロジェクトのなかで、このような語りが見出されたことは、とても、面白いことだ、と思いました。

人間の生活リズムとは無関係に、きっかり9時30分でしまわれてしまう「健康朝食」は、とても「非人間的」であると思います。でもそれを「使える!」と思い、家事に導入してみよう、とすることには、どこか、「人間くささ」「人間らしさ」のようなものを感じてしまいます。

もちろん、それを家事に機械的に導入したりすれば、それは、単に、家事をより非人間的なものにするのかもしれませんが、そうはなってない(時間が過ぎて、食事が取り下げられてしまったときのために、カップラーメンをストックしておいているらしい)というのも、すごく「人間くさい」。

カップラーメン食というのも、それだけ単独でとりあげると、ひどく無機的で非人間的のようにみえるけれども、こういう文脈のなかで、そういう無機的なもの、非人間的なものが突然、人間味を帯びてくるというのは、面白いことだなぁ、と思います。

 

家事仕事が、どのようなかたちで、コンヴィヴィアリティのための活動になるのかは、わからないけれど、こういうちょっとした「人間くさい」活動とか、ちょっとズレた家事仕事への見方・かかわり方のなかに、その萌芽を見出すことができるのかもしれない。そんなことを思わせるトークでした。

このトーク映像は記録として残されていて、今でもまだ視聴することができます

コロナ禍で、リモートワークと自宅ごもりに疲弊してしまって、なんだか自分以外への不信感ばかりが募ってしまうような日々を送っているわたしのような方々にとっては、ちょっとした救いをもたらしてくれると思います。

象の鼻テラス Zou-no-hana Terrace - スナックゾウノハナ in たばZ (2020年9月27日) | Facebook

 

近いうちに、展示会場にも足を運ばねば!

ジョージ・オーウェル『動物農場』と『赤い闇』~映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』を観てきました。


ソビエト連邦がひた隠しにした歴史の闇を照らし出す衝撃作!『赤い闇』予告編


1932-1933年にウクライナで生じた、ソ連による計画的大飢饉「ホロドモール」を取材し記事として発信しようと試みた英国人記者のひたすら孤独な闘いを描いた作品です。

ウクライナ行きの列車にのるジョーンズの様子を描いた本編映像が、Youtube上で公開されていますが、このようなかたちで、飢えた人々を描くモノクロの暗いイメージの映像が非常に印象的であることは、間違いない、とは思います。


映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』本編映像<オレンジ>

 

このように、ホロドモール自体が相当ショッキングなので、予告編でも「ホロドモールを描いた作品」とか「壮絶なる記者による闘い」ばかりがクローズアップされています。

が、ホランド監督がインタビューで「今回のように実在の人物が登場する場合、私は最初から“フィクション“として作ることを心がける。つまり、外側にある説明的な要素よりも、内なる“真実”にアプローチすることがより重要だと思うから」と述べているように、映画というイマジネーションに訴える手段によって「内なる”真実”」を描きだすことに主眼が置かれている…その意味では、淡々としているとすらいえる映画でした。

www.crank-in.net

 

予告編では一切触れられていないけれど、映画全体の語りの枠組みには、ジョージ・オーウェル『動物農場』が採用されています。


早川文庫版『動物農場』に記載されている本書のあらすじを観たら、「飲んだくれの農場主」という以外の記述が、あまりにも映画でみたものそのもので、眩暈がしました。

「飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した『動物農場』を設立した。守るべき戒律を定め、動物主義の実践に励んだ。農場は共和国となり、知力に優れたブタが大統領にえらばれたが、指導者である豚は手に入れた特権を徐々に拡大していき…」(ジョージ・オーウェル『動物農場 新訳版』、山形浩生訳、早川書房

 

 

鍵をかけられた「動物農場」のイメージは、徹底的な情報統制が行われた、当時のソ連の様子(映画本編では、以下のように描きだされています)と重なります。

 

しかし、上記で紹介したインタビュー記事で、ホランド監督は「腐敗したメディア、日和見的な政治家、そして無関心な社会、この3つが揃うと、また恐ろしい歴史が繰り返される」と述べていますが、これはけして、過去のことではない。

今、まさに起きていることと、重なることばかりで、だからこそ、この映画は、怖いののだと思います。

大学内イベントとしてオンライン上映会を開催する~YNUプライド2020「カランコエの花」ZOOM上映会

2020年6月10日に、横浜国立大学・長谷部学長(学長でもあり、ダイバーシティ戦略推進本部長でもある)が「プライド月間 学長メッセージ」(PDF)を公開しました。

「6月は、LGBTQIA等、性的少数者の人権を尊重し、社会の中の多様性を考えるプライド月間です」という文言から始まり、「アンコンシャス・バイアス」の問題が広く存在することへの認識を示したメッセージです。

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「プライド月間学長メッセージ」

この「プライド月間 学長メッセージ」の公開にともない、ダイバーシティ戦略推進本部のある先生から、ぜひ「プライド月間(=6月)」に、本学の取り組みの第一歩となるようなイベントを開催したい、という相談を受けました。

とはいえ、世の中は、新型コロナウイルス感染予防のため「三密」回避が求められている状況。横浜国立大学も、7月2日からは入構規制緩和が行われたものの、春学期中の授業はすべて遠隔講義、さらに6月中は入構規制も厳しい状況で、会議などで教職員で集まることすらほぼ不可能という状況でした。

そのため、「なにか、遠隔(オンライン)でできることを」という条件も加わり、わたしが提案したのが、オンライン映画上映会でした。

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YNUプライド2020「カランコエの花」Zoom上映会チラシ

本上映会開催されたのは、6月25日でしたが、その後、参加してくださった教職員の方などから、「どのようにオンライン映画会を開催したのか、知りたい」というご要望もいただきましたので、今回、どのような手続きや準備を行ったのか、について簡単にまとめておきたいと思います。

 

1.図書館が購入した映画DVDの上映を考える→実現せず

まず、横浜国立大学図書館で所蔵している映画DVDの上映を考えました。

横浜国立大学図書館に『ハーヴェイ・ミルク』や『ハッシュ!』のDVDが所蔵されていることを知っていたこともあり、これらを上映することができるなら、それが一番ハードルが低いと考えました。


映画『ハーヴェイ・ミルク』日本版予告編

 

今回の上映会は、教職員・学生の研修を目的に、非営利・無料で行われることは決まっていたため、著作権法第38条(営利を目的としない上演等)第1項が適用可能なのではないか、と考えたのです。

図書館が購入した映画ビデオの上映会を図書館の会議室で開催するには、権利者の許諾が必要でしょうか。 | Copyright Q&A 著作権なるほど質問箱

著作物が自由に使える場合 | 文化庁

 

…が、「公表された著作物を上演・演奏・上映・口述することができる」とはあるものの、オンライン上映会は「公衆送信」に当たってしまうため、これは適用できないのではないか、ということで、実現されませんでした。

 

2.自主上映会としてのオンライン上映会の可能性を探る

そうなると、公衆送信による「自主上映会」を開催する、という条件をきちんと説明したうえで、上映をお認めいただける配給会社などを探すしかありません。

折しも、cinemo by United People「Zoomでのオンライン上映会の開催方法」をホームページ上で公開していましたので、cinemoが提供している映画であれば、比較的、オンライン上映会開催へのハードルも低くできそうだ、と思いました。

「Zoomでオンライン上映会」開催方法|cinemo

…というわけで、次に候補にあがったのが、『ジェンダー・マリアージュ』。

www.cinemo.info

その他、UPLINKの「自主上映のご案内」を見たり、合同会社東風のサイトを見たり、いろいろとリサーチはしました。

今回は実現できなかったけど、東風では『恋とボルバキア』が提供されていることがわかったので、ぜったいいつか、上映会を実現したい…!という思いが高まりました。 

kimilab.hateblo.jp

そのようなかたちで、いくつか候補を挙げ、主催者である部局の先生方にお伺いしたところ、今回は、学校を舞台にした作品である『カランコエの花』を上映したい、というお話になり、『カランコエの花』を上映することに。

 

kimilab.hateblo.jp

 

3.「カランコエの花」HPから上映の連絡をとる

カランコエの花』は、トップページのいちばん最後に「お問い合わせフォーム」があり、そこに親切にもわざわざ…

「映画「カランコエの花」に関するお問い合わせフォームです。劇場での上映の他、学校・企業・自治体などの非劇場での上映も承っております。

…と記載されていたので、安心して連絡をとることができました。

「お問合せ内容」の「上映について」にチェックをしてら連絡をとると、すぐに、上映に関するご案内をいただくことができます。*1

 

4.オンライン上映会開催に向けて(マニュアル・参加登録)


このとき、「オンライン上映会をどのようなかたちで実施するのか」、参加者数のカウントや、参加者以外が上映作品を閲覧していないということの確認方法について尋ねられたため、このときは、cinemoがオンライン上で公開している『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)にしたがう」という回答をしました。

 

★ 『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)

 

ただし、このマニュアルでは、「人数カウントのため「登録」を「必須」に」という方法が推奨されているのですが、横浜国立大学でのZoom利用におけるセキュリティポリシーの中で、「Zoom利用時、(個人情報保護のため)学生には、氏名表示をさせない」というルールがあったため、このルールを適用しての開催はできない、ということが判明。

そのため、以下のように事前参加登録を行うかたちで、参加者を確認することにしました。

 

(1) 参加希望者(教職員・学生とも)に、上映会開催日前日までに、オンライン・フォームから参加登録を行ってもらう(大学公式メールアドレスからのみ参加申込可とし、氏名・連絡先メールアドレス等を記載)

(2) 上映会当日午前中までに、「参加者ID」を配布

(3) 上映会参加時には、Zoomにサインインする際に、「氏名」欄に「参加者ID」or「参加登録氏名」を記載する

 

…なお、参加者数が30名を超えたため、ひとりひとりに「参加者ID」を記載したメールをお送りすることが難しい、ということになり、①学生のみに、1人1人「参加者ID」を付与し、1人1人にメールを送付することとし、②教職員には「参加者ID」ルール(例:「YNUpride+(採用年4桁)」)のみをお知らせすることにしました。

 

当日、これで参加登録者の確認を行っていたのですが、どうも、Zoomでの「氏名表示」の変更の仕方がわからない方がたがいらっしゃったらしく、部署名(?)で何度も「待合室」に入ってこられる方がいらっしゃいました。

オンライン上映会に限らないことだとは思いますが、事前に、以下のことをお願いしておくことは必要なことだと思います。

 

①Zoomのアプリをダウンロードすること(ウェブ・ブラウザ―からでは適正な品質で映像が見られません。かなり映像・音声が乱れるようです)

 

②Zoomを最新版にアップデートしておくこと(時間ギリギリに入ろうとしたときに限って、突然、アップデートが始まったりします

 

③不安な人には、「氏名表示」の変更、マイク・カメラOFFの設定を練習しておいてもらう

 

④有線LANに接続できる環境で参加することを、推奨する

 

5.当日の運営

当日の運営については、ほぼ、『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)に記載されているとおりの設定をすれば、問題なくできそうでした。

 

① ミーティング作成時に、「入室時に参加者をミュートにする」をチェック

 

② 画面共有を「ホスト」のみ「可」にする

 

③ チャットを「OFF」にする

また、「当日の運営」ということではないですが、オンライン上映会の場合、通信できる画像の品質に限りがあるので、「Bru-lay」ではなく、「DVD」を使用したほうが良いと思います。…というか、どちらでもOKなのですが、「Bru-lay」に対応しようとして高画質送信できる設定にすると、トラブルが発生する参加者が出てくる可能性が高そうでした。

 

以上です。

参加者数が40名未満と少数であったからかもしれませんが、大きなトラブルもなく、無事にオンライン上映会を終えることができました。

 

おそらく今後も、なかなか、集まってなにかを開催するということが難しい状況は継続するように思います。

そのような時代において、なにか研修会などを開催したい、というときのひとつのアイデアとして「オンライン上映会」という選択肢があることを、お伝えしたいと思い、この記事を書きました。どこかで、だれかの、何かの参考になればうれしいです。

*1:残念ながらわたしは、入力するメールアドレスを間違えるという大失態を犯してしまったため、連絡がとれるまでにものすごく時間がかかりました…本当に申し訳ない…

大人につきあう、知らない世界にジャンプする~伊藤崇『大人につきあう子どもたち』

 伊藤崇先生から、5/26発売予定の新刊大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』(共立出版をご恵投いただきました。

 

inn.finnegans-tavern.com

ひつじ書房から『学びのエクササイズ 子どもの発達と言葉』(伊藤, 2018)が出版されたときも、「ぐおーっ!!これは!!」とかいって、予約注文でゲットしていたくらいなので、緊急事態宣言下で、書店に行くこともままならず、通販で発注しようとしても時間がかかってしまう…という状況の中、発売日前にゲットできたというだけで歓喜

しかも、ご恵投くださるなんて…!という感じです。

 

わたしにとって、『学びのエクササイズ 子どもの発達と言葉』は、なくてはならない本で、ほとんどスペースがない研究室のデスクの上に設置されている稀有な本だったりします。

そもそも、子どもの言葉の発達を「社会化(socialization)」という観点から議論しようとする人間にとって、日本語で読める文献事態が少ないので、そういう議論を知ることができる初学者向けのテキスト(「学びのエクササイズ」)が世に出てきたというのがありがたい。

これから、外国につながる児童生徒がますます増え、それのみならず、いろいろな事情で、子どもたちが背後に抱える社会・文化が多様になっていくなかで、そもそも、言語や読み書き能力(リテラシー)の発達をリニア―に描こうとするモデルは、ほとんど役に立たなくなるでしょう。

そのような中、学部生が、社会・文化を横断的に生きる子どもの言語発達について、手がかりとなるような理論やモデルが得られる、という意味でも、かけがえのないテキストなのです。

 

今回上梓された『大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』(共立出版)も、一読して「ああ…!今この状況の中で、このような視点での議論を手軽に日本語で読めるのが、ありがたい!」という感想を持ちました。

 

「大人につきあう子どもたち」というタイトルだけを見て、カチンときてしまい(あるいは、傷ついてしまい)、本書での議論を読もうともせずに通り過ぎてしまう人がいるといけないので、まず、「この本では、別に、養育者(保育者・先生)が批判されているわけではないですよ」ということをお伝えしておきたいです。

真面目な大人たちであればあるほど、家庭や保育園、学校における広い意味での「子育て」の営みのなかで、子どもたちが「大人につきあってくれている」ということに意識的です。そして、そのことに対して、落ち込んだり、絶望したりする。

研究授業のあとの協議会の中で、「子どもたちが、先生に気を遣って合わせてくれているだけだ」というような批判を聞いたこともあります。

子どもたちが「大人につきあう」ということは、かくも、ネガティブなこととして捉えられている傾向があるようです。

でもその先生たちが、子どものことを真摯に見よう、子どもに寄り添おうとした結果として、「大人につきあう子どもたち」の姿が見えてきてしまったように、子どもたちはやっぱり、大人につきあっているんだと思います。

 

だからこそ、わたしは、子どもを真摯に眼差そうとした結果、「大人につきあう子どもたち」の姿を見出して、落ち込んでしまっている養育者、保育者、先生方に、この本が届くといいな、と思います。

 

本書では、「大人につきあう子どもたち」を認めたうえで、そこに、子どもたちの学習・発達の可能性を見出します。

 

子育てもまた同じように考えられる。子どもにとって子育てとは自分にとっての活動ではない。しかし、それにつきあうことは、自分にとっての活動やその背後にある動機が変わる機会となるのである。大人との会話の成立に寄与した子どもには、次にまた大人と会話したいという動機が生まれるかもしれない。一斉発話の成立に寄与した子どもには、保育者による保育実践に不可欠なメンバーとして自己を規規定したくなる(つまり、クラスの一員となる)かもしれない。そして、準備過程の途中で呼びかけ遊びが成立した子どもたちは、さらに別の遊びを探索したくなるかもしれない。(伊藤崇(2020)『大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』, p182)(太字は引用者)

 

子どもたちの活動の世界は、大人が触れると「悪」にしかならないような、あるいは即座に壊れてしまうような、ガラス製の「ネバーランド」ではない。

大人たちが「子育て」によって新しい活動の可能性を広げていくように、子どもたちも、自分にとっての活動ではない「子育て」に付き合うことによって、未知なる世界を拓く機会を得る。これまでには知らなかった世界にジャンプしていける。

 

 2018年、全国大学国語教育学会・東京ウォーターフロント大会のラウンドテーブルで、「国語教育における即興的パフォーマンスとしての学習」を開催した。

そのときに登壇してくださった、堤真人先生(横浜市立永田台小学校(当時))は、「教師が手探りで捉えようとする子どもの世界.でも,捉えられない葛藤.そして,その先」というタイトルで、以下のような文章を寄せてくださいました。

「『わからない』という,ある種の諦念」からはじまりながら、一人称小説の文体を借りて語られる「ようこ」の物語には、「大人につきあって」短いゲームみたいなものを遊んであげながら、その中で、ちょっとずつ変わっていっているかもしれない自分が語られているように思います。

 

教師が手探りで捉えようとする子どもの世界.でも,捉えられない葛藤.そして,その先(堤真人)

教師による子どもへの即興的な関わりは,「わからない」という,ある種の諦念から始まる.クラスというコミュニティを構成する他の子どもたちと同様に,教師も自らの主観を通じて,ひとりひとりの児童のことを知ろうとする.教師が知り得るあるひとりの子どもの姿は,あくまで,その児童のひとつの側面に過ぎない.そのような主観の限界を知りながら,それでも,ひとりひとりの子どもたちの世界を知ろうとし,その限界の中で葛藤する.「わからない」という前提に立ち,「わかりえない」という限界を知りながら,子どもたちと関わるために,即興的なアクティビティが取り入れられ,そこで即興的に生み出される言葉や身体,関係性から,次なる学習への手がかりが少しずつ見出される.そのような姿を,虚構の「告白体の物語」(ヴァン=マーネン, 1999)を通して描き出してみたい.このような即興的な学習の姿は,いかに記述することが可能なのか.

3.1. 「ようこ」の物語①
 今日も 輪になって一日が始まる.いつものようにみんなで短いゲームをする.
「みんなとは親友にはなれないけど,一緒にゲームができるぐらいの関係にはなってほしい.」とうちの担任はよく言う.いきなり授業よりはずっとまし.授業時間短くなるしラッキー!うちの担任は,遊べ遊べって,いつも言う.なんかいつも教室や校庭で,「アクティビティ」(?)やらドッジボールをしている.いつも男子と先生はふざけてばかりいる.どっちが子どもなんだろうってよく思う.


3.2. 「僕」の物語①
今年も,一年間輪になって朝をスタートしようと思う.飽き性の僕がずっと続けている唯一の実践だ.僕は朝が弱い.しんどい日だってあるし,テンションの高い日だってある.家庭でいろいろある日だってある.きっと子どももそうだと思う.一人一人違う背景があるんだから.学校来ていきなり学校モードになるんじゃなくて,みんなで顔を合わせて遊びながら「今日もまぁ楽しくできそうだ」って思えてもらったらうれしい.

 

3.3. 「ようこ」の物語②
今日のゲームは,カウントダウン.20から1の数字の中でひとつ選ぶ.先生が20からカウントダウンしていって,自分が選んだ数字の時に手をあげるというものだ.でも誰かとかぶったら負け.1に一番近い数字で一人だけが手を挙げた人が勝ちだ.
「20!」いつものようにおふざけ男子が何人か手を挙げている.もう面白くないのに.私が選んだ数字は「3」.意外と誰も選ばない数字なのだ.「3!」私は思いっきり手をあげる.周りを見る.「あー,お前手上げんなよー!」とゆうすけが笑いながら言っている.私も思わず「うわっ」って言っちゃった.うるさいよ,ゆうすけ.


3.3. 「僕」の物語②
今日は,朝から何やらテンションが高い子が多い.今日の遊びは,静かに推理するものをしようと思う.カウントダウンにしよう.「20!」数人の男子が手を挙げる.安定した手出しだ・・・「19, 18…」 「3」「あー,お前手上げんなよー!」「うわっ」 ゆうすけはともかく,ようこが「うわっ」だって!そんなこと言うんだなぁ.しかも嫌そうな顔で.意外な一面が見れたなぁ.ようこも少しずつ自分が出せるようになったのかなぁ.いや,そればっかりはようこにしか分からないか・・・僕の見えている子どもの世界なんてごくわずかなんだよな.ついつい,子どものことを分かったようになってしまうのが僕の悪い癖だ.

 

3.4. 「ようこ」の物語③
毎日,毎日,朝の遊びをしている.ペアとかも毎日変わるから,いろんな子とかかわるようになったと思う.今も,休み時間は決まった子とあそんじゃうけど,それでいいと思ってる.みんなと親友にはなれないしね.でも,なんかうちのクラス,仲良くなってきたと思う.昨日も,喧嘩ばかりしているあつしとペアでかくれんぼだったから心配だったけど,「お前探すのうまいな」だって.あつしも意外といいところもあるんだなと思った.


3.5. 「僕」の物語④
毎日,毎日,遊んでいてだんだん,仲良くなってきたのが分かる.もちろん,今日みたいにルールでもめることもあるけど,そんな日もあると思う.ただ,この仲良くっていうので,苦しんでしまう子はいないだろうか.強い凝集性が働いていないだろうか.いつも不安だ.僕が見ようとしている子どもの世界はあまりにも広大で,大人の僕には霞んで見える.僕が感じていることが,ほんとに子どもが感じていることかどうかなんて分からない.人のことなんて分かりやしない.それでも,なんとかこうしよう,ああしようって子どもの様子を見ながら決断していかないといけない.その矛盾は苦しい時もあるけど,「また明日!」って子ども達が言えたらいいなって思うんだ.

 堤先生自身が最後にかたる「『僕』の物語」は、不安と葛藤だらけ。

でもそのなかに灯るひとつの希望、ひとつの願いとして、「『また明日!』って子どもたちが言えたらいいなって思うんだ」と締めくくられていることも、今あらためて振り返ってみると、とても感慨深い。

 

子どもたちの「わからなさ」「理解しあえなさ」に日々不安と葛藤をかかえ、時には絶望し、落ち込んでしまう先生方は、けして、堤先生だけではないと思います。

 

そういう人たちに、本書が届くことを、祈らずにいられません。

遠隔オンライン講義での聴覚障害の学生への対応について、自分ができることを考える

新型コロナウイルス感染予防のため、日本中の大学で、遠隔講義(オンライン講義)への対応が求められています。
わたしの勤務先である横浜国立大学でも、4/8に「授業開始に向けたPC等事前準備のお願い」(PDF)が示され、授業は、Office365 Teams、授業支援システム、Zoomの組み合わせで行うという方針が示されました。

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授業支援システム・Office 365 Teams, Zoomを使った授業のイメージ

このようなことを、Twitterで報告したところ即座に、次のようなツッコミが入りました。

単純に疑問なんですけど、この場合の情報保障や、発話が難しい学生などの対応ってどうなるんですかね…?— そう (@sojumpso) 2020年4月8日

 この問題については、4/21の時点ですでに、日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)が、遠隔講義における情報保障支援についての特設ページを公開してくださっています。

【オンライン授業における支援】日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワークでは、多くの大学がオンライン授業を導入している状況を受け、聴覚障害学生が参加する際の情報保障支援について情報発信のページを新設しました。ぜひご覧ください。情報は随時更新していきます。https://t.co/0ifFG4CkPF— 【公式】PEPNet-Japan (@PEPNet_Japan) 2020年4月21日

 

遠隔授業での情報支援について具体的な方法が提示されているし、それぞれに、かなり見やすいマニュアルもあるので、このページを見ておけばばっちり!とは思っているのですが、一方で、これだけ情報が並んでいると、何から見ていいかわからない、という人も多いと思います。

 

そこで、まったく専門家ではないわたしが、これまで、毎年1~2人ずつくらい、授業で聴覚に障害のある学生たちを受け入れてきた経験から、今、遠隔授業(オンライン授業)への対応として考えていることを、書いておこうと思います。

 

1.オンデマンド型(課題配信型)授業

 

「遠隔授業(オンライン授業)」といっても、学生のネットワーク環境の限界、大学側が提供できるサーバー容量の限界から、結局は、オンデマンド型(課題配信型)の授業が多くなるのではないか、と予想しています。

オンデマンド型(課題配信型)で提供される資料としては、以下の3種類が考えられます。

 

①文字資料(レジュメ、配布資料化されたスライドなど)

②音声資料(講義内容が録音されたものなど)

③動画資料(パワーポイントのプレゼンテーションを動画化したもの、講義録画など)

 

このうち、聴覚障害をもつ学生への対応が必要なのは、②音声資料③動画資料ですね。このそれぞれについて、わたしは次のように対応することを考えています。

 

1.1. 音声資料:Google Documentの音声入力で文字化テキスト作成

 

音声のみで教材を提供する場合、その音声を文字化した「読み上げ原稿」を用意することが必要です。

さきほどご紹介したPPAP-Netの「授業担当者へのお願い」でも、依頼項目のひとつに「読み上げ原稿やレジュメなどの提供(字幕挿入や情報保障で十分対応できない場合も文字起こしがあれば最低限のサポートとなります)」があります。音声のみで授業資料を提供しようとするのであれば、なおさら「読み上げ原稿」が必要です!

 

「読み上げ原稿」は、Google Documentの「音声入力」あるいは、Microsoft Officeの「ディクテーション」を使って、けっこう簡単に作成することができます。

 

Google Documentでの音声の入力の仕方については、こちらの記事などが参考になるかもしれません。(無料で音声入力ができる「Google音声入力」の使い方【超便利】)

 

すでに、Google Documentを利用している方であれば、すぐにでもできます。

「ツール」タブをひらいていただき、マイクが標準装備されているパソコンであれば、そのまま、そうでない場合には、マイクをPCに接続して、「音声入力」をクリックします。

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Google Documentでの音声入力

「音声入力」をクリックしたら、そのまま講義内容を話していきます。

おそらく、音声のみで教材資料を配信される方は、Windows10に標準装備されている「ボイスレコーダー」を使ったり、あるいは、ICレコーダーやスマホの「ボイスレコーダー」機能を使って、講義内容を録音される方が多いと思います。

それらに音声を入力するときに、Google Documentをひらき、ボイスレコーダーの「録音」ボタンを押す直前のタイミングで「音声入力」ボタンを押せばOKです。

 

以下は、わたしが、Google Documentの音声入力を使って入力をしてみた結果です。

「こんにちは。これから初等国語科教育法(しょとうこくごかきょういくほう)の授業(じゅぎょう)をはじめます。わたしはこの授業(じゅぎょう)を担当(たんとう)するイシダキミです」と言った直後に、プリントスクリーンで画面をキャプチャしたところ、このような感じでした。

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Google Documentでの音声文字化

タイムラグも少なく、文字変換もかなり精度が高いこと実感していただけるかと思います。

同じようなことは、Mirosoft Office 「ディクテーション」機能を用いて行うこともできます。これは、Microsoft Office365の「Word」の「ディクテーション」を使って、音声による文字入力をしているところです。

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Mirosoft Officeの「ディクテーション」機能を用いた音声文字化

やってみた感じとしては、Google Documentの「音声入力」より、文字化がはじまるタイミングが少し遅いかな、というところ。

「ディクテーション」ボタンを押してから、数秒間まって、話し始めたほうがよさそうです。文字化の制度としては、ゆっくり話せば、Google Documentと大差ないですが、わたしみたいに話すスピードが速い人間にとっては、Google Documentのほうがよさそう、という印象を持ちました。

 

こんな話をしていたところ、hinata yoshikazu先生より、“グーグルドキュメントの音声入力機能では、改行が自動で入らないのでは?UDトークだと、一定時間で、自動で改行が入りますよね"(大意)と教えていただきました

「UDトーク」とは、App StoreおよびGoogle Playの送付で無料提供されている会話の見える化・コミュニケーション支援アプリのこと。

★ UDトーク | コミュニケーション支援・会話の見える化アプリ

 

たしかに、「UDトーク」を使うと、こんな感じで自動的に改行が入りますし、ふりがなもつく。そのままテキストとしてダウンロードもされるので、とても見やすいです。

 

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ただわたしの話すスピードがおかしいのか、発音が悪いのか…わたしにとっては文字化の精度がGoogle Documentと比べるとちょっと…というところがあり、うまく使い分けていく必要がありそうです。

 

1.2. 動画資料:Microsoft Stream, Youtubeを使った字幕付与

 

動画資料の場合には、動画に字幕をつけることが推奨されています。

わたしの場合、Microsoft Office365が利用できますので、学内限定で公開する授業動画であれば、Streamの機能を使って動画をアップロードするというやり方で十分でした*1

この場合、やるべきことは非常に簡単で、動画をアップするときに、①動画の言語を「日本語」に設定(画像左下側)したうえで、②「オプション」内「キャプション」の設定にある「字幕ファイルの自動生成」をチェックするだけです。

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Microsoft Streamで字幕をつける

初期設定のままであれば、動画が完全にアップロードされると、メール通知が届く仕組みになってます。

メール通知が届いたあとに、アップロードされた動画を見ると…

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Stream上にある字幕付き動画

こんな感じで、「字幕」がつきます。

「いしだきみ」が「意志だけに」になっているあたり、固有名はもっとクリアに発音しないとダメなのかも…と思ったりしますが、それを除けばすばらしい精度で文字化が行われているように思います。

 

なお、わたしはStreamが使用できることがわかったので、まだ試していないのですが、そのような状況にない場合、Youtube Studioを使用して字幕を自動生成できます

PEP-Netで公開されているこちらのマニュアル『YouTubeでの字幕作成⽅法』(PDF)が、とても見やすくわかりやすいので、こちらのマニュアルにしたがって、字幕をつけるのが良いのではないかと思います。(「非公開」設定とはいえ、Youtubeで動画を公開すべきではないという、方針の大学もあろうかとは思いますが)

 

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PEP-Net「字幕の作成方法」

2.リアルタイム動画配信(同時双方向型)授業

 

リアルタイム動画配信による動画双方向型授業といえば、ZoomやMicrosoft Teams, Google meetあたりの利用が検討されているようです。

とはいえ、そのなかでも学生への連絡のたやすさ、必要とする準備の少なさという視点から、Zoomを利用することを検討される方が多いのではないでしょうか。

 

Zoomでの「字幕」のつけかたについても、PPAP-Netでとても見やすくわかりやすいマニュアル「Zoomの字幕機能を用いた文字情報の提示」(PDF)が公開されており、授業者が自分で「字幕」を付与する場合も、情報保障者(ノートテイク・ボランティアなど)に「字幕」入力を依頼する場合も、このマニュアルだけを見れば、何をすればよいかがすぐにわかります。

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情報保障者に字幕の入力を割り当てる(「Zoomでの字幕機能を用いた文字情報の提示」p6より)

わたし自身も、Zoomを使用する場合には、自分が打ち込むか、どなたかにボランティアをお願いして「チャット」か「字幕」で情報保障をしようかな…と考えていました。

 

が、そんなことを考えていたところ、Google Documentの「共有」機能を使えば、だれかが「字幕」や「チャット」を打ち込まなくても、相手にリアルタイムで、音声の文字化を届けられることを知りました。

azami-seisaku.com

 

この記事の場合は、インタビューなので、双方が「音声入力」をONにしておくことが必要ですが、ZOOMで講義を配信する場合には、基本的には、講義する者だけが「音声入力」をONにしておけばよさそう。

ゼミなどでのディスカッションの場合には、発言するときに「音声入力」をONにするということを徹底したり、はじめから全員で「音声入力」ONにしておくということで、問題がクリアできそうです。(まだやってみていないので、可能性として、ですが)

 
 
たしかにこれを使うと、画面共有やシアターモードでの共有もできて、リアルタイムで字幕が表示できるようになり、いろいろと便利そう!
なのですが、残念ながら、Androidユーザーなので、QRコードも発行できず……自分では試せない状況です。どなたか、iOSユーザーの方にためしてみていただいてレポートしていただきたいです。
 
以上のことから、現在、わたしが使用できることのできるツールなどを考えると、以下の対応が可能なのではないか、と考えています。
 
(1)オンデマンド音声配信:Google Document音声入力を使って、「読み上げ原稿」を作成し、音声データと一緒に配信
 
(2)オンデマンド動画配信:Stremaの字幕自動生成機能を使って、字幕をつける
 
(3)リアルタイム動画配信・双方向授業:Google Document音声入力+ドキュメントの「共有」機能を活用して、リアルタイムでの文字化情報共有を図る
 
もちろん、他にもいろいろなツールがあるのでしょうが、使用できる環境や使いやすさなど、いろいろなことを考えて、それぞれに「できること」を考えていく必要があるのだろうと思います。
 
それを考えていくうえでも、PEP-Netが公開しているオンラインコンテンツ集はとても便利でしたので、ぜひ、ご覧になることをおすすめします!

*1:学内の事情により、その後この方法にはいろいろな問題があることもわかったのですが、結局はStreamを利用することになったので、割愛。詳細はこちらのtogetterまとめを見てお察しください。