kimilab journal

Literacy, Culture and contemporary learning

遠くから思いを馳せざるをえない時代のアートー「メゾン・ケンポクの何かはある2020」アーカイブサイト

昨年(2020年)1~3月に開催されていたメゾン・ケンポクの「何かはある」。

メゾン・ケンポクの『何かはある』(メゾン・ケンポク、茨城県北各地)

今年開催が予定されていた「何かはある2021」も、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、一部プログラムが休止したり、開催形態が変更になっているようです。

maisonkenpoku.com

いま、振り返ってみると、昨年度の「何かはある」も、まさに、新型コロナウイルスによる社会生活への影響が少しずつ、そして、確かにはっきりと、生活のなかで感じられてきていた時期に開催されていました。

 

その「何かはある2020」のアーカイブ・サイトが公開された、とのお知らせをいただきました。

maisonkenpoku.com

このブログにも記事を掲載した、松本美枝子《海を拾う》レビューや、華雪さんによるワークショップ《和紙に文字を植える》のレポートも、アーカイブサイトに記事をご掲載いただいています。

 

kimilab.hateblo.jp

 

kimilab.hateblo.jp

 

松本美枝子《海を拾う》に関しては、上記ブログ記事でもご紹介しているわたしのちいさなレビューと一緒に、小松理謙虔さん(ローカル・アクティビスト)によるかなり詳細な作品レビュー「石が問う、産業と地域、そして芸術」も掲載されています。

-松本美枝子《海を拾う》レビュー「石が問う、産業と地域、そして芸術」/小松理謙虔さん(ローカル・アクティビスト) 

同じ作品に対する複数のレビュー(しかも、小松さんのレビューは、私が書いたようなライトでフワフワッとしたものではなく、小松さんご自身のこれまでの経験に根差しながら、本作から地域とアーティストとの関わりに関する深い考察を導き出した、かなり骨太なレビューです!)が、ひとつのページのなかに並べられていて、それらを見ることができる、というのは、なかなか素敵なこと。

普段から、自分が見た/経験した作品やプロジェクトに対しては、いくつかのレビューサイトを見比べたりもするけれど、それが本サイトのなかで、主催者側の企画として実現されている、というのが素敵です。

さらにいえば、もともと、松本美枝子《海を拾う》の映像によるドキュメント/レビューとして制作された鈴木洋平監督による派生作品《短編映像|海を拾う》も掲載されていて、文字(テクスト)によるレビューとはまた異なった視点で、《海を拾う》という作品を「経験」(ここはあえて「経験」と言いたい)することができます。


松本美枝子「海を拾う」

 

 松本美枝子さんといえば、2014年に行われた「鳥取藝術祭」での美枝子さんの仕事がとても印象的でした。

芸術祭の「広報」という枠で行われたものであるにもかかわらず、「鳥取藝術祭に来られない人」、遠くからこのプロジェクトに思いを馳せる人たちに向けた、写真+テキストによる作品(とあえて言いたい)が実現されていて、非常に感銘を受けた記憶があります。 

kimilab.hateblo.jp

 そんな松本美枝子さんが、『未知の細道』での連載のなかで、同様に、現地に来られない人たちにとっての「演劇」のありかたを探った、長島確とやじるしのチームによる「←(やじるし)」のプロジェクトについての記事を書かれていたのも、とても面白い。

www.driveplaza.com

さらにいえば、昨年は、ヨコハマ・パラトリエンナーレ2020の《BOOK PROJECT|そのうち届くラブレター》にも、アーティストとして参加されていて、山本高之《悪夢の続き》への「応答」として、誰かによる「見せたい風景」をピンホールカメラで撮影された写真群を作品として展示されていたのが印象的でした。


山本高之《悪夢の続き》 Takayuki Yamamoto The Nightmare Continues, 2020

(BOOK PROJECTの感想も書こうと思って書けていない…できていないことが多すぎますね)

 

新型コロナウイルスの影響で、「現地に行くことができない」「遠くから思いを馳せることしかできない」という状況のなかで、今後、松本さんがどのようなプロジェクトを今後展開していくのか、ますます楽しみになるようなアーカイブサイト公開のお知らせでした。

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松本美枝子《海を拾う》展示作品の一部

 

ミスリード情報をリツイートしてしまった話――フェイクニュースとの付き合い方

先日、BuzFeed  Japanによるファクトチェック記事「新型コロナワクチン、「感染予防効果なし」は誤り」が公開されました。

www.buzzfeed.com

マスメディアによる、いわゆる「反ワクチン」報道については、これまでも話題になってしましたが、それに対して、BuzzFeed  Japan がファクトチェックを行い、専門家にヒアリングを行いその見解を紹介する、というかたちで切り込んだかたちになります*1

そして今日は、同じBuzz Feed ニュースで、「反ワクチン」報道記事の削除が相次いでいることが取り上げられていました。

www.buzzfeed.com

 

新型コロナウイルス関連の報道に関しては、実は、わたしも反省(懺悔)しなければならないことがあり、そのことについて、ここで記しておきたいと思います。


1月中旬頃、都営大江戸線運転士の集団感染(新型コロナウイルスへの集団感染)に関して、運転士らが使用していた洗面所の蛇口を介して感染が広がったのではないか、というニュースが複数のメディアで報じられました。

以下に示す読売新聞の独自取材記事がもととなり、読売新聞で報道されたあと、共同通信でも報道があり、NHKニュースや民放でも放映されました。

www.yomiuri.co.jp

大江戸線運転士の集団感染、蛇口経由拡散か(共同通信) - Yahoo!ニュース

洗面所の蛇口介し感染か 都営大江戸線の新型コロナ集団感染 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

 

そして、このニュースに関しても同様にBuzzFeed Japanで検証したところ、このニュースが「ミスリードであるという評価がなされました。

www.buzzfeed.com

 

じつは、私、読売新聞の独自取材記事が、オンラインで公開されていた時に、この記事を自分自身のTwitterリツイートしていました。

その後、1月23日に、フォローしていたファクトチェック・イニシアティブのアカウントで、以下のツイートを拝見し、驚いて記事本文を見てみたところ、「洗面所の蛇口が感染ルートであった」という説明が、あくまで、対応した保健所から出されたひとつの可能性に過ぎず、専門家からも疑義が呈されていたことがわかりました。

 

 

メディアリテラシー教育研究者の端くれとして、フェイクニュース(とまでは言えないですが)の拡散を防止するどころか、拡散に加担してしまった(!)ということにショックを受けると同時に、わからないことだらけで、かつ日々変化していく未知のウイルスの存在に直面している現在、今回のような情報の拡散を完全に防ぐことは(ほぼ)不可能である、ということも思い知りました。

 

たとえば、NHK for School『週刊メディアタイムズ』には「フェイクニュースを見抜くには」という回があり、ここで示されているポイント(資料PDF)を見てみると…

 

「発信元を探る」

「他のメディアを調べてみる」

「文章の表現に着目」 

 

…とあり、完全な「フェイクニュース」はもちろん、今回のような真偽の不確かさをもつニュースであっても「他のメディアを調べてみる」は有用だと思っていたのですが、読売独自取材→共同通信(通信社)→報道各社…というルートで、同じニュースが掲載されていると、さすがにこれに対して、真偽が不確かな情報だと思うのは難しい。

その段階になると、むしろ読み手の側の「ニュースリテラシー」によって、情報の確からしさを、他のニュース同様に吟味するなかで、自分自身の対応を決めていく必要がありそうです。SNSの拡散という段階で防ぐのは難しいし、情報のスムーズな流通が滞るというデメリットの方が大きそうです。

 

そうであるとすると、私たちができるのは、「ミスリード」するような情報は存在する、ことを前提に、ニュースと付き合っていくことなのだと思いました。

予防線として、今回、私がそうであったように、ファクトチェック団体のSNSをフォローしておく、など、いつでもファクトチェック情報にアクセスできる環境を整えておくことは有用そうです。そして、自分が拡散した情報が、誤情報あるいは真偽が不確かな情報だと思ったときに、それを積極的に拡散していく(…といっても、そういう情報はなかなか拡散してもらえないのですが)ということが、求められるのかもしれません。

 

そういう自分自身のメディア環境をデザインすることも含めて、「ニュース・リテラシー」「メディア・リテラシー」を考えていく必要があるように思います。

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大日本タイポ組合「文ッ字」展・展示作品より

 

*1:この記事内容について、当初、「ファクトチェック・イニシアティヴがファクトチェックを行い…」と記載していましたが、読者の方から、実際に検証を行ったのはBuzzFeedであるというご指摘をいただきましたので、記事内容を訂正しました(2021/1/27)。

文部科学大臣記者会見「令和の日本型学校教育」を担う教師の人材確保・質向上に関する検討本部」について

萩生田文科相は、1月19日の記者会見で、文部科学省内に「「令和の日本型学校教育」を担う教師の人材確保・質向上に関する検討本部」を立ち上げることを表明しました。

この件に関しては、教育新聞が「「教師を再び憧れの職業に」 文科相、検討本部設置を表明」(2021/1/19)と報じるほか、Yahoo!ニュースに前屋毅さん(フリージャーナリスト)の記事「「憧れの職業」になっていないのは教員の責任なのか、萩生田文科相の気になる言い方」(2021/1/20)が掲載される他、それほど話題になっているわけではないようですが、私はこの省内の検討本部立ち上げと、それに対する文科相の説明に、大きな違和感を覚えました。

 

検討本部の立ち上げに関する違和感というのは、簡単にいえば、「なんで、それ、必要なの?」ということです。

記者会見では、これについて、はじめに次のように説明されています。

最後に、本日、私の下に「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上に関する検討本部」を設置することとしましたのでご報告いたします。

…(中略)…

この点、中央教育審議会においても「『令和の日本型学校教育』を実現するための、教員養成・採用・研修の在り方」について、今後更に検討していくこととされており、また、教育再生実行会議におけるご議論においても、個別最適な学びを実現するためには教師の指導力の向上も重要であるとのご意見を多くいただいていることから、当面の取組とともに、中長期的な実効性ある方策を文部科学省を挙げて検討していくために、私の下に検討本部を設置することといたしました。

私自身が先頭に立ち、質の高い教師の確保に向けて取組を進めてまいりたいと思います。 

ここで言及されているとおり、 すでに、この件についてはすでに、中央教育審議会でも議論が進められているのです*1

中央教育審議会の「『令和の日本型学校教育』を実現するため…」は、昨年(2020年)10月に中間報告を出しています。

「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(中間まとめ)(令和2年10月 初等中等教育分科会):文部科学省

その中で、教員養成・採用・研修について議論について言及された部分は、以下のとおり(概要PDF, p11)

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令和の日本型学校教育答申(中間報告)-教員組織のありかた(概要)

なお、1/26に答申そのもののまとめも出されましたが、その内容を見ても、中間まとめから、(2)と(3)のレイアウト(概要版に示されているスライドのレイアウト)が変更されたくらいで、内容としては、それほど大きな変更はなさそうでした。

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令和の日本型学校教育答申(まとめ)1/26発表

「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号):文部科学省

さてこれらの中に「(5) 教師の人材確保」として示されている内容の本文にあたると、以下のような記述があります。

● 近年、採用倍率の低下や教師不足の深刻化など,必要な教師の確保に苦慮する例が生じており、教育の仕事に意欲を持つより多くの志望者の確保等が求められている。(本文PDF, p71)

記者会見の中で「この点、中央教育審議会においても、…更に検討していくこととされており」と言われているのは、おそらく、このことを言っているのだろうと思います。

そうだとしたら、これまでどおり、中央教育審議会による議論の経過を見守り、答申を受けて、その政策的実現に努めれば良いのではないでしょうか。

なぜ、わざわざ中間報告が出されて数か月の段階で、その中の1項目について、突然、検討本部を設置することになったのか、がよくわかりません。

 

おそらく、同じような疑問を持たれたからではないかと思いますが、記者会見の中でも記者から、その検討本部の「具体的な運営方法と検討事項」って何なの?、と質問を受けています。

それに対する回答のなかで「目指すべき出口」として示された内容が、こちら。

最後、目指すべき出口は何かと言ったら、私、常に申し上げているように、教師という職業を再び憧れの職業にしっかりとバージョンアップしてですね、志願者を増やしていくということにしたいと思います。

そのためには、働き方改革や免許制度や、あるいはせっかく少人数やICT教育が始まるのに、今の教職養成課程では、もう誤解を恐れず申し上げれば、昭和の時代からの教職課程をずっとやっているわけじゃないですか。

そうすると、こんなに学校のフェーズが変わるのに、教えている大学のトップの人たちは、まさに昔からの教育論や教育技術のお話をしているわけですから、この辺も含めてちょっと大きく変えていかないと、時代に合った教員養成できないし、

また、その目指す教員の皆さんが、何となく今までは大変な職業だというのが少し世の中に染み付いてしまっていますけれど、やっぱり夢のある、やりがいのある仕事なのだということをしっかり理解してもらえるような、そういう教師像っていうものを求めて検討していきたいなと思っています。

教育新聞では、この冒頭の一文がタイトルで取り上げられていたわけですが、それに便乗するかたちで、突然出てきた「教職養成課程」への非難(?)がなかなかな内容です。「誤解を恐れず申し上げれば」という前置きをしつつ…

「昭和の時代からの教職課程をずっとやっている」

「昔からの教育論や教育技術のお話をしている」

…という批判が述べられます。

 

なぜ、突然このようなことを言いだしたのか。その根拠が、わたしにはよくわかりません。

さきほどお示しした、中央教育審議会の中間報告でも、「(5)教師の人材確保」は検討事項として挙げられていますが、その中に、教職養成課程の問題を指摘している部分はありません。

ではもうひとつ挙げられている教育再生実行会議の方かもしれない、と思って会議資料を見てみたのですが、最近の会議資料を見てみても、教職養成課程について述べられているのは「教職養成課程における『教育格差』の必修化」(松岡亮二「『教育格差』縮小のための政策提言」)くらいしか少し探したくらいでは見当たらず(探し方が悪いのかもしれませんが…)、ちょっとよくわかりません。

 

それもそのはずで、教職養成課程に関しては、2016年の教育職員免許法改正と「教職コアカリキュラム」の作成、2017年の教育職員免許法施行規則の改正を受けて、いま、「改革の真っ最中」という感じなのです。

これについては、2018年12月7日に行われた日本教職大学協会の研究大会で、文部科学省総合政策教育局長が発表された際の資料にも、わかりやすくまとめられています(『2019年度日本教職大学院協会年報』, p68)

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教職大学院協会2019年度研究大会-資料

このようは法改正、政策の実行をおこなっているただ中に、「昭和の時代」から変わっていない、「昔」から変わっていない、という非難の言葉を向ける意味は、いったいなんなのでしょうか。

佐藤郁也(2019)『大学改革の迷走』(ちくま新書)の第2章「PDCAPdCaのあいだ―和製マネジメント・サイクルの幻想」では、大学改革のなかでよく求められる「PDCA」が実際には、書類としての「P」と「C」の作成ばかりが強調される(=「PdCa」という)ミス・マネジメントサイクルになっていることが批判されています。が、今回の検討本部の立ち上げは、もはや「PdCa」ですらない。

「PdPd」(あるいは「PPPP」?)で、「Plan」の作成ばかりが目的化して、その根拠となるような「C」や「A」がないを合理化するために、「昭和時代」「昔」といったステレオタイプ的な見方が使われているのではないでしょうか。

 

同書のなかでは、大学改革が「道徳劇」となってしまっており、大学がその「道徳的」というドラマの中の主要キャラクター(=「馬鹿(愚か者)」)として位置付けられていることが、批判的に論じられています。

今回の批判も、大学における教職課程の教員を「馬鹿(愚か者)」役として位置付けることで、「道徳劇」としての教育改革を推し進めようとしているもののように見えます。

 

このような「道徳劇」を続行させ、一部のうまくいった大学や教員だけを「英雄」として位置付け続けたとしても、教師が「憧れの職業」になることはないでしょう。

教師をふたたび「憧れの職業」にしたいのであれば、誰も「馬鹿(愚か者)」にも「悪漢」にもならない、新たな「劇」を、みんなのパフォーマンスによって創り上げていく必要があるのだと思います。

 

*(2021/1/28) 1/26に、中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」が公開されたことにともない、記事内容を加筆しました。答申については、以下のページをご参照ください。

www.mext.go.jp

*1:教育再生実行会議についての言及もありますが、これは「教師の指導力向上が重要」だとたくさんの人が言っているよ、というだけなので割愛。

4回だけ会えた、学生たちとの授業のこと

今年度、1年間だけ、お引き受けしていた非常勤講師先の大学での授業が終わる。
夜遅くに開講される受講者7-8人の小さな授業。

 

春学期はすべてオンラインだったので学生たちに会うことすらかなわなかったけれど、後期は少しだけ、学生たちに会うことができた。

年明けに予定されていた対面授業は、緊急事態宣言発令の影響で、急遽、オンラインに変更になり、5回予定されていた対面授業は、4回に減ってしまった。たった4回だけ、だったけれども、それでも、その時間は、とてもかけがえなかった。

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羅生門

4回だけの「会える」時間によって、そのほかの10回以上の時間の意味が本当に大きくかわった。

最終回の授業は、学生たちに、同じ授業を受けているメンバーにおすすめしたい本を紹介しあう「ビブリオバトル」。


「チャンプ本」を獲得したのは、糸井重里『思えば、孤独は美しい』

www.1101.com

なんだか、いろいろこの1年間のことを考えさせられた。

オンライン授業の後、ミーティングルームを退出する学生たちを見送っていたら、最後にひとりの学生が残って、

「実は、途中から、教員になるのは辞めようと思ったんだけど、この授業で、みんなといろいろ話したりするのが楽しくて、授業だけは受けちゃいました」といってくれる。

その学生がわざわざ残ってそれを言ってくれた主たるねらいは、「期末レポートを出さなくてもいいか」と質問をするためだったのだけど、それでも、すごくうれしかった。

わたしたちの時間は、たしかに、そこにあったのだ。


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コンヴィヴィアリティのための家事~KOSUGE1-16《ようこそHouseworks Learning Centerへ》

横浜・日本大通り三塔広場とオンラインで同時開催されていた、「スナックゾウノハナinたばZ」で、KOSUGE1-16による《ようこそ Houseworks Learning Center へ》の関係者の皆さんとのトークが開催されると聞き、さらに、本プロジェクトで上映されているミュージカル映像も視聴できると知り、オンライン配信されたトークを視聴しました。

www.facebook.com

 

《ようこそ Houseworks Learning Center へ》は、家事(Houswork)にまつわるエピソードに基づくミュージカル映像を中心に構成されたインスタレーション作品。

先週末から展示公開された作品で、まだ展示会場には足を運べていないのだけれども、作品説明を読んだ段階で…

「これは絶対、エピソードを提供した人たち(=インタビュー協力者)の話を聞いたあとに観にいった方が、面白いやつだ!!」

…と思い、あえて、週末は自宅にこもりきりで仕事をして(単に、仕事が終わらなかっただけ、ともいう)、9月27日の夜にオンライン配信予定だったトークイベントを視聴することにしたのでした。

fsp.zounohana.jp

上記ホームページの中に記載されているように、本作では、シャドウワーク」としての家事仕事に焦点を当てています。

イヴァン・イリイリ『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う (岩波現代文庫) 』の中で、賃金労働(ワーク)とは異なり賃金が支払われないにもかかわらず、ワークと同様に、市場経済の存続を支えつづける影なる仕事(シャドウ・ワーク)として記述される、家事仕事。

それは、人間が本来おこなってきた根源的な諸活動であるにもかかわらず、市場経済のために埋め込まれることで、単なる「無払い労働」へと変質してしまっている、と、イリイチは批判します。

 

ここで重要なのは、家事仕事が、たしかに現在、市場経済を支える「シャドウ・ワーク」である一方で、それが、人間の本来的な諸活動でもあるということ。

本作の紹介文による、本作では、さらに、そのシャドウ・ワーク前近代的な活動(人間の本来的な諸活動)に戻すのではなく、「少しでもポジティブな存在としてアップデート」することを企図しているというのも、とてもエキサイティングです。

 

そうなってくると、どういう人たちにインタビューをして、本作が創られていったのか、という点がとても気になるわけですが、そのインタビュー協力者の選ばれ方も面白かった。

KOSUGE1-16のFacebookページでの紹介では、「家事には直接関係のない専門家の皆さん」と記載されていましたが、本当にそのとおりで、一見、「なぜ、この人が?」と思う方々ばかりなのです。

 

株式会社鈴廣蒲鉾本店・研究開発センターで、塩辛などの商品開発に携わっている長岡敦子さん。 

「極地建築家」として、南極地域観測隊や模擬火星実験など、極地での生活を経験してきた村上祐資さん。

www.fieldnote.net

 

鳥取大学医学部でイモリの心臓再生メカニズムなどを研究なさっている竹内隆先生。

www.med.tottori-u.ac.jp

数学者でトポロジーを専門として研究を行っている、青山学院大学の松田能文先生。www.agnes.aoyama.ac.jp

KOSUGE1-16のご近所さん(?)で、高知県で木造建築を中心とした建築設計やまちづくりにかかわっている艸建築工房の横畠康さん。

www.sou-af.jp

逆に、「どうして、この方々を集めようと思ったんですか?」と聞きたい気持ちになります。

 

しかし、この方々が一同に会するトークイベントのなかで、その方々による家事についてのエピソードによって構成されたミュージカル映像を視聴し、それにまつわる話を聞いてみると、それぞれの方々が、「ワーク/シャドウワーク」という枠から(完全に、自由ではないとしても)少し離れたところに、自分の軸足を置くことができる人たちであること。

そして、すこしズレた軸足の置き所から、(シャドウワークとしてではなく)ニュートラルな行為や現象としての「家事仕事」なるものを眼差されていることがわかります。

 

わたしが個人的に面白いと思ったのは、毎日決まった時間(午前9時30分)に、無機的にしまわれてしまう「東横イン」の「健康朝食」のシステムを、「このシステムは使える!」と家事システムに導入した村上先生のお話。

「家事=シャドウワーク」という捉えからはじまったであろう、このプロジェクトのなかで、このような語りが見出されたことは、とても、面白いことだ、と思いました。

人間の生活リズムとは無関係に、きっかり9時30分でしまわれてしまう「健康朝食」は、とても「非人間的」であると思います。でもそれを「使える!」と思い、家事に導入してみよう、とすることには、どこか、「人間くささ」「人間らしさ」のようなものを感じてしまいます。

もちろん、それを家事に機械的に導入したりすれば、それは、単に、家事をより非人間的なものにするのかもしれませんが、そうはなってない(時間が過ぎて、食事が取り下げられてしまったときのために、カップラーメンをストックしておいているらしい)というのも、すごく「人間くさい」。

カップラーメン食というのも、それだけ単独でとりあげると、ひどく無機的で非人間的のようにみえるけれども、こういう文脈のなかで、そういう無機的なもの、非人間的なものが突然、人間味を帯びてくるというのは、面白いことだなぁ、と思います。

 

家事仕事が、どのようなかたちで、コンヴィヴィアリティのための活動になるのかは、わからないけれど、こういうちょっとした「人間くさい」活動とか、ちょっとズレた家事仕事への見方・かかわり方のなかに、その萌芽を見出すことができるのかもしれない。そんなことを思わせるトークでした。

このトーク映像は記録として残されていて、今でもまだ視聴することができます

コロナ禍で、リモートワークと自宅ごもりに疲弊してしまって、なんだか自分以外への不信感ばかりが募ってしまうような日々を送っているわたしのような方々にとっては、ちょっとした救いをもたらしてくれると思います。

象の鼻テラス Zou-no-hana Terrace - スナックゾウノハナ in たばZ (2020年9月27日) | Facebook

 

近いうちに、展示会場にも足を運ばねば!

ジョージ・オーウェル『動物農場』と『赤い闇』~映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』を観てきました。


ソビエト連邦がひた隠しにした歴史の闇を照らし出す衝撃作!『赤い闇』予告編


1932-1933年にウクライナで生じた、ソ連による計画的大飢饉「ホロドモール」を取材し記事として発信しようと試みた英国人記者のひたすら孤独な闘いを描いた作品です。

ウクライナ行きの列車にのるジョーンズの様子を描いた本編映像が、Youtube上で公開されていますが、このようなかたちで、飢えた人々を描くモノクロの暗いイメージの映像が非常に印象的であることは、間違いない、とは思います。


映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』本編映像<オレンジ>

 

このように、ホロドモール自体が相当ショッキングなので、予告編でも「ホロドモールを描いた作品」とか「壮絶なる記者による闘い」ばかりがクローズアップされています。

が、ホランド監督がインタビューで「今回のように実在の人物が登場する場合、私は最初から“フィクション“として作ることを心がける。つまり、外側にある説明的な要素よりも、内なる“真実”にアプローチすることがより重要だと思うから」と述べているように、映画というイマジネーションに訴える手段によって「内なる”真実”」を描きだすことに主眼が置かれている…その意味では、淡々としているとすらいえる映画でした。

www.crank-in.net

 

予告編では一切触れられていないけれど、映画全体の語りの枠組みには、ジョージ・オーウェル『動物農場』が採用されています。


早川文庫版『動物農場』に記載されている本書のあらすじを観たら、「飲んだくれの農場主」という以外の記述が、あまりにも映画でみたものそのもので、眩暈がしました。

「飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した『動物農場』を設立した。守るべき戒律を定め、動物主義の実践に励んだ。農場は共和国となり、知力に優れたブタが大統領にえらばれたが、指導者である豚は手に入れた特権を徐々に拡大していき…」(ジョージ・オーウェル『動物農場 新訳版』、山形浩生訳、早川書房

 

 

鍵をかけられた「動物農場」のイメージは、徹底的な情報統制が行われた、当時のソ連の様子(映画本編では、以下のように描きだされています)と重なります。

 

しかし、上記で紹介したインタビュー記事で、ホランド監督は「腐敗したメディア、日和見的な政治家、そして無関心な社会、この3つが揃うと、また恐ろしい歴史が繰り返される」と述べていますが、これはけして、過去のことではない。

今、まさに起きていることと、重なることばかりで、だからこそ、この映画は、怖いののだと思います。

大学内イベントとしてオンライン上映会を開催する~YNUプライド2020「カランコエの花」ZOOM上映会

2020年6月10日に、横浜国立大学・長谷部学長(学長でもあり、ダイバーシティ戦略推進本部長でもある)が「プライド月間 学長メッセージ」(PDF)を公開しました。

「6月は、LGBTQIA等、性的少数者の人権を尊重し、社会の中の多様性を考えるプライド月間です」という文言から始まり、「アンコンシャス・バイアス」の問題が広く存在することへの認識を示したメッセージです。

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「プライド月間学長メッセージ」

この「プライド月間 学長メッセージ」の公開にともない、ダイバーシティ戦略推進本部のある先生から、ぜひ「プライド月間(=6月)」に、本学の取り組みの第一歩となるようなイベントを開催したい、という相談を受けました。

とはいえ、世の中は、新型コロナウイルス感染予防のため「三密」回避が求められている状況。横浜国立大学も、7月2日からは入構規制緩和が行われたものの、春学期中の授業はすべて遠隔講義、さらに6月中は入構規制も厳しい状況で、会議などで教職員で集まることすらほぼ不可能という状況でした。

そのため、「なにか、遠隔(オンライン)でできることを」という条件も加わり、わたしが提案したのが、オンライン映画上映会でした。

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YNUプライド2020「カランコエの花」Zoom上映会チラシ

本上映会開催されたのは、6月25日でしたが、その後、参加してくださった教職員の方などから、「どのようにオンライン映画会を開催したのか、知りたい」というご要望もいただきましたので、今回、どのような手続きや準備を行ったのか、について簡単にまとめておきたいと思います。

 

1.図書館が購入した映画DVDの上映を考える→実現せず

まず、横浜国立大学図書館で所蔵している映画DVDの上映を考えました。

横浜国立大学図書館に『ハーヴェイ・ミルク』や『ハッシュ!』のDVDが所蔵されていることを知っていたこともあり、これらを上映することができるなら、それが一番ハードルが低いと考えました。


映画『ハーヴェイ・ミルク』日本版予告編

 

今回の上映会は、教職員・学生の研修を目的に、非営利・無料で行われることは決まっていたため、著作権法第38条(営利を目的としない上演等)第1項が適用可能なのではないか、と考えたのです。

図書館が購入した映画ビデオの上映会を図書館の会議室で開催するには、権利者の許諾が必要でしょうか。 | Copyright Q&A 著作権なるほど質問箱

著作物が自由に使える場合 | 文化庁

 

…が、「公表された著作物を上演・演奏・上映・口述することができる」とはあるものの、オンライン上映会は「公衆送信」に当たってしまうため、これは適用できないのではないか、ということで、実現されませんでした。

 

2.自主上映会としてのオンライン上映会の可能性を探る

そうなると、公衆送信による「自主上映会」を開催する、という条件をきちんと説明したうえで、上映をお認めいただける配給会社などを探すしかありません。

折しも、cinemo by United People「Zoomでのオンライン上映会の開催方法」をホームページ上で公開していましたので、cinemoが提供している映画であれば、比較的、オンライン上映会開催へのハードルも低くできそうだ、と思いました。

「Zoomでオンライン上映会」開催方法|cinemo

…というわけで、次に候補にあがったのが、『ジェンダー・マリアージュ』。

www.cinemo.info

その他、UPLINKの「自主上映のご案内」を見たり、合同会社東風のサイトを見たり、いろいろとリサーチはしました。

今回は実現できなかったけど、東風では『恋とボルバキア』が提供されていることがわかったので、ぜったいいつか、上映会を実現したい…!という思いが高まりました。 

kimilab.hateblo.jp

そのようなかたちで、いくつか候補を挙げ、主催者である部局の先生方にお伺いしたところ、今回は、学校を舞台にした作品である『カランコエの花』を上映したい、というお話になり、『カランコエの花』を上映することに。

 

kimilab.hateblo.jp

 

3.「カランコエの花」HPから上映の連絡をとる

カランコエの花』は、トップページのいちばん最後に「お問い合わせフォーム」があり、そこに親切にもわざわざ…

「映画「カランコエの花」に関するお問い合わせフォームです。劇場での上映の他、学校・企業・自治体などの非劇場での上映も承っております。

…と記載されていたので、安心して連絡をとることができました。

「お問合せ内容」の「上映について」にチェックをしてら連絡をとると、すぐに、上映に関するご案内をいただくことができます。*1

 

4.オンライン上映会開催に向けて(マニュアル・参加登録)


このとき、「オンライン上映会をどのようなかたちで実施するのか」、参加者数のカウントや、参加者以外が上映作品を閲覧していないということの確認方法について尋ねられたため、このときは、cinemoがオンライン上で公開している『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)にしたがう」という回答をしました。

 

★ 『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)

 

ただし、このマニュアルでは、「人数カウントのため「登録」を「必須」に」という方法が推奨されているのですが、横浜国立大学でのZoom利用におけるセキュリティポリシーの中で、「Zoom利用時、(個人情報保護のため)学生には、氏名表示をさせない」というルールがあったため、このルールを適用しての開催はできない、ということが判明。

そのため、以下のように事前参加登録を行うかたちで、参加者を確認することにしました。

 

(1) 参加希望者(教職員・学生とも)に、上映会開催日前日までに、オンライン・フォームから参加登録を行ってもらう(大学公式メールアドレスからのみ参加申込可とし、氏名・連絡先メールアドレス等を記載)

(2) 上映会当日午前中までに、「参加者ID」を配布

(3) 上映会参加時には、Zoomにサインインする際に、「氏名」欄に「参加者ID」or「参加登録氏名」を記載する

 

…なお、参加者数が30名を超えたため、ひとりひとりに「参加者ID」を記載したメールをお送りすることが難しい、ということになり、①学生のみに、1人1人「参加者ID」を付与し、1人1人にメールを送付することとし、②教職員には「参加者ID」ルール(例:「YNUpride+(採用年4桁)」)のみをお知らせすることにしました。

 

当日、これで参加登録者の確認を行っていたのですが、どうも、Zoomでの「氏名表示」の変更の仕方がわからない方がたがいらっしゃったらしく、部署名(?)で何度も「待合室」に入ってこられる方がいらっしゃいました。

オンライン上映会に限らないことだとは思いますが、事前に、以下のことをお願いしておくことは必要なことだと思います。

 

①Zoomのアプリをダウンロードすること(ウェブ・ブラウザ―からでは適正な品質で映像が見られません。かなり映像・音声が乱れるようです)

 

②Zoomを最新版にアップデートしておくこと(時間ギリギリに入ろうとしたときに限って、突然、アップデートが始まったりします

 

③不安な人には、「氏名表示」の変更、マイク・カメラOFFの設定を練習しておいてもらう

 

④有線LANに接続できる環境で参加することを、推奨する

 

5.当日の運営

当日の運営については、ほぼ、『Zoomオンライン上映会開催マニュアル』(PDF)に記載されているとおりの設定をすれば、問題なくできそうでした。

 

① ミーティング作成時に、「入室時に参加者をミュートにする」をチェック

 

② 画面共有を「ホスト」のみ「可」にする

 

③ チャットを「OFF」にする

また、「当日の運営」ということではないですが、オンライン上映会の場合、通信できる画像の品質に限りがあるので、「Bru-lay」ではなく、「DVD」を使用したほうが良いと思います。…というか、どちらでもOKなのですが、「Bru-lay」に対応しようとして高画質送信できる設定にすると、トラブルが発生する参加者が出てくる可能性が高そうでした。

 

以上です。

参加者数が40名未満と少数であったからかもしれませんが、大きなトラブルもなく、無事にオンライン上映会を終えることができました。

 

おそらく今後も、なかなか、集まってなにかを開催するということが難しい状況は継続するように思います。

そのような時代において、なにか研修会などを開催したい、というときのひとつのアイデアとして「オンライン上映会」という選択肢があることを、お伝えしたいと思い、この記事を書きました。どこかで、だれかの、何かの参考になればうれしいです。

*1:残念ながらわたしは、入力するメールアドレスを間違えるという大失態を犯してしまったため、連絡がとれるまでにものすごく時間がかかりました…本当に申し訳ない…